今日、「育薬」という言葉はどれほど知られているのだろうか。病院勤務の薬剤師さんや企業の製品情報に関わる人たちには知られているのだろう。あるいは、最近は製薬協が盛んに育薬をPRしているから、もう少し広く行きわたっているとも考えられる。
育薬という言葉は「創薬」に対応する言葉として作られたものである。つまり、「薬を創る」に続いて重要なプロセスとされる「薬を育てる」から来ている。薬が承認されるまでの過程を創薬と言い、承認された薬に対して、さらなる情報を収集・付加・伝達しながら、より有用性の高い薬に育ててゆくことを育薬という(以前、創薬の後半プロセスを育薬とする考え方もあったが現在は適用されない)。
新生児や幼少児と成人の扱い方が異なるように、新薬の発売時には、既存薬とは異なった特別の扱いをする必要があるというのが育薬の思想である。
治験と実地診療の差
新薬は多くの臨床試験のデータに基づいて承認されるものであるが、治験は実際の診療現場とはかなり違った条件のなかで行われたものである。例えば、治験段階では病気は単一であり、合併症を持つ患者は少ない。治験は単独処方が原則だが、実際は併用処方が多い。とにかく治験時と発売時ではその対象、病態、使い方などがまったく異なっている(本誌6月15日号、「医薬時評」参照)。
この状況は、お腹の中にいる胎児と新生児の環境がまったく異なっていることと類似している。この意味から、私は新薬の育薬期間は、あたかも自動車運転の若葉マーク期間であるとして、常々注意を促している。
薬事規制上、新薬に対しては「市販直後調査」や「市販後調査」が義務付けられている。市販直後調査には「慎重な使用を繰り返し促すとともに重篤な副作用が発生した場合、その情報を可能な限り網羅的に把握して報告する」とある。
さらに、納入時の訪問間隔を含めた厳しい販売ルールが決められている。また、最近承認される新薬には全例追跡調査などの承認条件が付されていることが多い。これらは新医薬品の育薬対策の一環と見ることができる。「大事に育ててください」という親心とも言えようか。
育薬の思想を生かそう
新薬にとって、極めて大事な育薬という考え方や思想があるにもかかわらず、ソリブジンやイレッサのように、発売直後に死亡例多発という事態を招いた。これはその企業に「育薬思想」が欠落していた証左である。育薬という言葉が機能しなかったことを残念に思う。
ただし、育薬は企業のみで成就できるものではない。企業が中心となり、処方医や薬剤師などの医療関係者と患者の協力体制のなかで初めて達成できるものだ。
愛媛大学病院には「創薬・育薬センター」が新設され、福岡薬剤師会は「育薬セミナー」を継続的に行っている。育薬の言葉が使われた薬科大学の入学案内もある。また、アステラス製薬の新組織には「育薬研究所」の名称が採用されている。
これからはゲノム創薬、バイオ医薬品など鋭角的な作用を持つ新薬が多くなる。育薬の考え方はより一層重要となるし、その具体的な対策も研究されていくだろう。
「育薬」という、すばらしい日本語が生まれているのだから、関係者に育薬思想が普及・定着し、的確に実行され、有効・安全に新薬が育つことを願う。
神原秋男 著
『医薬経済』 2005年9月1日号