ヒトの細胞は200種類以上、約60兆個ある。この膨大な数の細胞の元祖を探ると、受精卵というひとつの細胞に辿り着く。ES細胞(胚性幹細胞)は98年、受精卵の胚から、米ウイスコンシン大学トムソン教授らによって取り出された。
ES細胞は様々な細胞へ分化できる多能性と、非常に高い増殖能を持っている。すべての細胞(組織)になり得る多能性と、強い自己複製能力・増殖能から、ES細胞は「万能細胞」とも呼ばれている。すなわち、ES細胞は細胞の出生地(起源)を、万能細胞は細胞の機能を示す意味でつけられた名称である。ES細胞の持つ多能性と増殖能は、発展しつつある再生医療の原材料としての特性を備えており、世界の最先端研究者の重要な標的にされてきた。
今回、京都大学山中伸弥教授らはヒト成人皮膚に由来する線維芽細胞に遺伝子を組み込み、ヒトES細胞と同じ形態、増殖能、遺伝子発現、分化能力を持つヒト「iPS細胞」を作るのに世界で初めて成功した(07年11月20日正午、米国科学雑誌「セル」オンライン版)。「iPS細胞」(induced pluripotent stem cell)とは、人工的に作られた多能性の幹細胞(万能細胞)を指す。
ES細胞を人体に応用するうえには、①ヒトになる受精卵を使う(殺す)ことについての倫理的・宗教的な問題、②他人の細胞を患者の体内に入れることにより免疫拒絶反応が起こる、③目的とする細胞や組織へと分化させる技術開発の問題などが挙げられる。
「iPS細胞」の開発に成功したことは①と②の課題を一挙にクリアした画期的な業績だ。皮膚細胞に使う4つの遺伝子と遺伝子の運び屋(ウイルス)によるがん化の問題があるが、この面の改良研究も発表されている。また、iPS細胞と遺伝子組換え技術を使って、鎌状赤血球症マウスの貧血症状の改善に成功したという報告もあり、㈫の問題解決への道筋が拓かれつつある。
iPS細胞研究の成果は、再生医療への貢献だけでなく、創薬研究、特にヒト組織を使ったスクリーニングの新システム構築や病態のメカニズム解明、新治療薬開発に大きく貢献すると期待される。一方で、精子・卵子も作れることから生命倫理上の議論も必要だ。
11月21日の科学技術振興機構、京都大学、医薬基盤研究所の共同発表以降、万能細胞に関する報道は解説を含めて充満している。
ES細胞を使った研究に反対していた米国のブッシュ大統領は、喜びと支援を表明し、バチカンのローマ法王庁も受精卵を殺さない研究を激賞、ドイツ政府は研究費を倍増するとともに、がんセンターはがん研究の成果を上げた人に贈る「マイエンブルグ賞」を山中教授に授与した。
日本は科学技術振興機構が数億円の研究費支援を表明、文部科学省、科学技術政策担当相が、米国に負けない国家的プロジェクトの準備を進めると報じている。
ES細胞は個々の組織や器官になるが、受精卵のように胎児になることはできない。そこで、万能細胞の名称は受精卵に限定して使用し、ES細胞は「多能性細胞」と呼ぶのが正確だという考え方もある。
万能細胞という言葉は新聞報道であまりに有名07年に市民権を得た新しい言葉として「iPS細胞・万能細胞」を取り上げた。
神原秋男 著
『医薬経済』 2008年1月1日号