インフォームド・コンセント(以下、IC)の内容を表す的確な訳語はない。「説明と理解と同意」とされるのが多いようであるが、「説明と理解・納得・同意」、「十分な説明と理解に基づく同意」、「至知同意」、「十分理解したうえで自分で決定すること」などから、「同意」ではなく「合意」であるとする意見もある。言葉の持つ一面をもの語り興味深い。
ICが文化や習慣の異なる国から来た言葉であり、微妙なニュアンスが伝わりにくいために、ICという原語が、そのまま日本において普及し使用されている。
医療におけるICとは、「医師が患者に対して病状についてよく説明し、それに応じた検査や治療について十分な情報を提供し、患者はそれを十分に理解し承諾したうえで、誰にも強制されない自由な立場で検査や治療法を選び、その同意に基づいて医師が医療を行う」という医療上の原則を意味する(「インフォームド・コンセント」森岡泰彦より)。
ICは医事法学の先駆者・第一人者であり、臓器移植、脳死、尊厳死など医の倫理に詳しい唄孝一氏(03年・文化功労者)が1965年に発表した「治療行為における患者の承諾と医師の説明」(契約法体系補)とする論文で日本に紹介されたものとされる。
紹介されたのは古いが、日本でICが広く論じられ始めたのは80年代後半からである。ICのもととなる考え方は64年に開かれた第18回世界医師会総会で、ヒト試験に関する倫理綱領、いわゆる「ヘルシンキ宣言」に盛られている。すなわち、人体実験は医学の進歩のために必要であるが、目的、方法、予測される利益とリスクなどを被験者に十分に説明し同意を得ることを求めている。日本でICが治験について最初に規定され、実施されたのは、このような背景によっている。
ヒト試験に要請されたICが、医療や診療の現場に普及してきた背景や経緯も興味深い。そこには、パターナリズム(父権主義)からの脱却、医療訴訟からの防御、患者主権の運動、医師と患者の信頼関係の確立などが挙げられる。
パターナリズムとはヒポクラテスの時代からの思想で、素人の患者に病気のことを詳しく説明することは患者に余分な不安を与え、素人判断は患者のためにならない。むしろ、患者のためにわが子を愛する・思う気持ちを持って誠意を尽くした診療をすべきであるという善意の考え方が、広く長く世界の医師に浸透していた。これが親権の乱用、医師の独善性、権威主義、密室性への不信として批判され、医の倫理も大きく変わってきた。
70年代から米国でICが急速に普及・定着したのは医療における患者の人権問題が提起され、増加する医療訴訟の防止策としての意味合いが強かった。
いま一つ触れたいのは、医療内容の説明を受け理解するうえの医師と患者の情報の非対称性、すなわち情報格差の問題があるが、スペースの関係で割愛する。
ところで、仮にICという言葉がこの世になくて、「病状の十分な説明を」、「治療法の理解できる解説を」、「患者の同意した医療を」などと、くどくど主張していたとしたら、今日のようにICの考え方が浸透し、広く実践に移されていたであろうか。
ICという言葉は、旧来の医療のあり方を一変させ、患者中心の医療に変容させつつある功績をもつ言葉であり、21世紀の新しい医療を導き出した言葉であると高く評価したい。
神原秋男 著
『医薬経済』 2005年11月1日号