『医薬経済』本誌の8月1日号から、「林檎の南限、蜜柑の北限 石岡市に見る地域医療問題」という連載を始めました。この連載では、私が暮らしている石岡市の事例を通して、今、全国各地で起こっている医師不足や医療機関の再編問題など、医療の提供体制をめぐる地方の厳しい実情と、その解決の糸口を紹介していきます。どうぞよろしくお願いいたします。


  これまで地域医療の中核的な存在だった石岡市医師会病院の休院によって、医療へのアクセス面では苦しい状況にある石岡市ですが、実は古墳時代には国府が置かれた歴史のある町でもあります。また、春には鶯が鳴き、初夏には蛍が飛び交う美しい里山もあり、自然環境に恵まれた魅力あふれる別の顔も持っています。そこで、こちらのコラムでは、私の暮らしの周辺にある「もうひとつの石岡市」を紹介していきたいと思います。


  石岡市のなかでも、私が暮らす八郷地区は農村部で、作物がなんでもとれる実り豊かな地域です。この豊かな恵みを象徴するのが、タイトルにもある「林檎の南限、蜜柑の北限」という言葉です。八郷は、細長い日本列島のなかで、林檎栽培と蜜柑栽培が交差する珍しい地域ですが、それを可能にしているのが筑波山の存在です。


八郷から眺めた筑波山=写真:塚田悦子(@tsukubasunset)


  一般に、林檎の産地として思い浮かぶのは、青森や長野など雪の多い寒地ですが、八郷は茨城県のほぼ中央に位置する温暖地で、雪はほとんど降りません。ただし、三方が筑波山系の山々に囲まれた盆地で、冬になると盆地特有の強い放射冷却が起こります。移住した最初の冬の朝、水道が凍って水が出なくなり、びっくりしたのですが、この底冷えする寒さを利用して、林檎栽培は行われています。


    一方、蜜柑のおもな産地は、愛媛や和歌山などの暖地です。林檎とは正反対の温暖な気象条件が求められますが、八郷では西側にある筑波山の斜面を利用して、古くから蜜柑栽培も行われています。


通常、山では、標高が高くなるほど、気温が低下していきます。ところが、冬の筑波山では、麓に比べて中腹の気温のほうが高くなる「斜面温暖帯」が発生します。この斜面を利用して、古くから作られてきたのが、 福来 ( ふくれ ) 蜜柑と呼ばれる在来種で、蜜柑栽培の北限となっています。


筑波山の中腹では、なぜ、こうした気温の逆転現象が起こるのでしょうか。


  これは、平野部の気象とも密接な関係があります。冬の平野部は、地面からの放射冷却によって地表付近の気温が低下するため、高度が上がるにつれて、気温が高くなります。そこに山があれば、当然、中腹の気温は麓に比べて高くなります。山の表面でも放射冷却は発生しますが、冷気は重力によって麓のほうに下がるので、その代わりに空中からの温かい空気が山の表面に流れ込んできます。こうした空気の流れによって、山の中腹付近の温度が相対的に高くなる斜面温暖帯が発生するというわけです。これが、筑波山の中腹で蜜柑栽培を可能にしている気象のカラクリで、八郷が「蜜柑の北限」と言われるゆえんです。


でも、昔の人は、筑波山の豊穣は、神の力によるものと考えたようで、『常陸国風土記』の「筑波郡」の章には、次のような神話が残っています。


  昔々、祖の神の尊は、あちこちの神々を巡っては、宿を乞うのを常としていましたが、あいにく、祖の神が筑波山に登った日は新嘗祭の真っ最中。そんな多忙の中でも、筑波の神は、祖の神の来訪を歓待して、豪華な食事やお酒でもてなしたそうです。たいそう喜んだ祖の神は、筑波山の未来永劫の繁栄を約束して、次の歌を詠みました。


( ) しきかも ( ) ( みこ )  ( たか ) きかも 神宮 ( かみつみや )  天地 ( あめつち ) ( )  ( )  日月 ( ひつき ) 共同 ( とも ) 人民集 ( たみくさつど ) ( ことほ ) 飲食 ( みけみき )  ( ゆたか ) 豊に 代代 ( よよ ) に絶ゆること無く ( ) ( ) ( いや )  ( さか ) 千秋 ( ちよ )  万歳 ( よろづよ ) 遊楽 ( たのしひ )  ( きはま ) らじ


【現代語訳】

愛しい我が子よ その宮はきっと高くりっぱであろうよ。天地日月とともに永久に変わることなく、人々はその山に集まりことほぎ、神酒神饌も豊かであろうよ。後々までいつでも絶えることなく日増しに栄え、千年も万年も楽しみは尽きないであろうよ


「常陸国風土記 全訳注 秋本吉徳」(講談社学術文庫)より

 

 以来、筑波山には、たくさんの人が集って、歌ったり踊ったり、飲んだり食べたりするようになり、繁栄が続くようになったとか。


 今に続く筑波山の繁栄が、祖の神のおかげなのか。真贋は定かではありませんが、「常陸国風土記」が編纂される以前から、筑波山は人々が集まる、実り豊かな地域だったことがうかがえます。


  千年以上の時を経た今も、四季折々に違う表情を見せる筑波山には、たくさんの人が訪れています。そして、筑波山の東側に位置する八郷では、その独特な風土を生かして、一年を通じてさまざまな農作物の栽培が行われています。

米や麦、野菜はもちろんのこと、特筆したいのがフルーツの栽培です。年明けの苺から始まり、メロン、ブルーベリー、梨、葡萄、栗、柿、林檎、蜜柑など、一年を通じて、何かしらのフルーツが栽培されています。


これからの時期、楽しみなのがシャインマスカットです。黄緑色の大粒の葡萄品種で、種がなく、皮ごと食べられるが特徴です。ここ数年、葡萄のなかでもダントツの人気品種です。さわやかな甘味で、最初に食べたときは、まるでお菓子を食べているような気持ちになったものです。その分、他の葡萄に比べると、お値段は高めです。


  でも、東京の千疋屋なら、桐の箱に入れられて販売されていそうな立派なシャインマスカットが、八郷ならお手頃価格で手に入るので、葡萄農家や直売所には、それをお目当てにした観光客が他県からもたくさん訪れます。


今年は新型コロナウイルスの感染拡大で、例年の賑わいを見るのは難しそうですが、筑波山の繁栄は、祖の神が未来永劫に約束してくれています。一日も早く収束し、再び筑波山に人々が集い、楽しく飲んだり、食べたりできる日が来ることを祈っています。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

早川幸子(はやかわ ゆきこ)

文筆家。1968年、千葉県生まれ。明治大学卒。会社員、編集プロダクション勤務を経て、1999年にフリーライターに。公的な健康保険や診療報酬、民間保険など、身の回りの医療費の問題を、新聞やマネー誌、ネットサイトなどに寄稿。ダイヤモンドオンラインで「知らないと損する!医療費の裏ワザと落とし穴」を連載中。おもな著書に「読むだけで200万円節約できる!医療費と医療保険&介護保険のトクする裏ワザ30」(ダイヤモンド社)など。2016年10月、東京から茨城県の石岡市八郷地区に移住。フリーライターを続けながら、庭で野菜作りを行い、「半農半ライター」生活を送っている。2021年4月、「石岡の地域医療をみんなでつくる会」を立ち上げる。