茨城県の犬猫の殺処分数減少の裏にあるもの


 一般にいわれている「医療計画」は、医療法第30条の4に基づき、都道府県で策定しているものを指しています。医療計画は、医療費の適正化を図りながら、医療の提供体制を効率的・効果的に整備することを目的、1985年の医療法改正で導入されました。


 計画に書き込む内容は、二次医療圏ごとの必要病床数(現在の基準病床数)の設定、病院整備の目標、医療従事者の確保の手段などで、都道府県の人口や医療資源などの実情に合わせて、それぞれの地域で医療の提供体制を整備していくことが義務づけられたのです。


 その後、2006年改正で、疾病や事業ごと(いわゆる5疾病・5事業)についての計画を立てることが加えられ、2014年改正で「地域医療構想」も策定されることになりました。


 医療計画は、以前は5年ごとに改定されていましたが、他の計画との整合性をとるために、2018年からは6年ごとに改定されることになり、現在は第7次医療計画が運用されています。


 このように、通常、医療計画は都道府県が策定するもので、市町村単位で医療計画をつくるということは、メジャーなことではありません。それでも、石岡市、かすみがうら市、小美玉市の3市が合同で医療計画をつくることになったのは、県の医療計画だけでは地域医療の課題を解決できないと判断したからです。


 『医薬経済』本誌の4月15日号では、2019年度に「石岡地域医療計画」がつくられた背景、そして計画づくりのための2つの会議についてレポートしているので、こちらも読んでみてください。


 ただし、2019年度に策定された「石岡地域医療計画」は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響を受けて見直しを余儀なくされました。現在進行形では、この春、医療計画の改定案が提出され、3市長と石岡市医師会長によるカンファレンスの承認を受けたところです。今後、石岡市、かすみがうら市、小美玉市の3市は、新たな医療計画のもとに医療の提供体制を構築していくことになり、住民としては目が離せない状況です。


 この医療計画の改定案の提出に限らず、春は新しいことがスタートする季節。行政や学校では新年度が始まりますが、田んぼや畑では新シーズンに向けた作付けに追われます。そして、石岡市の農村地帯・八郷地区に移住して、春の年中行事になったのが子猫の里親探しです。


 「〇〇さんちで、子猫が3匹生まれて、貰い手探してるって」

 「△△農場の裏で、子猫が捨てられてたって。誰か飼う人にない?」


 毎年のように、このような情報が飛び交うのですが、今年はひょんなことから、私自身が生まれたばかりの子猫の乳母をすることになりました。


 3月の中旬。まさに、先月号のこのコラムの原稿を書いていたときのこと。ご近所さんから突然、電話がかかってきたのです。


 「今、犬の散歩に来てるんだけど、水路の端っこのほうにビニール袋が引っかかってて、そこから子猫の鳴き声がするのよー。引き上げてあげたいんだけど、道具が何もないから、網か何かもってきてくれない?」(と、本当は、もっと茨城弁で)


 私は、八郷に引っ越してから猫を飼うようになり、今ではすっかり「猫おばさん」と化しているため、猫を保護するためのお手伝い要員として白羽の矢が立ったようです。


 とりあえず、原稿を書く手を止め、虫取り用の網を持って言われた場所に行ってみると、田んぼの用水路の脇に、衣料品チェーンのロゴが書かれたビニール袋が引っかかっていました。


 網を使って引き上げてみると、袋の中から出てきたのは、手のひらに乗るような小さな小さな1匹の子猫でした。まだ、目も開いておらず、臍の緒もついたままの赤ちゃん猫でした。


 ビニール袋の口は結ばれており、人間が故意に子猫を入れたことは明らかです。生まれてすぐに、親猫から引き離して、袋に入れて捨てたのでしょうか。


 なんて酷いこと……。


 それでも、抱き上げると、「ピャー、ピャー」と声をあげて鳴いています。とにかく預かって、子猫を育てた経験のある友人のところに駆け込みました。


 友人が「がんばれ、がんばれ」と言いながら、お湯で温めてくれたおかげで、冷え切った子猫の体は少しずつ温もりをとり戻し、なんとか一命をとりとめることができました。



保護した日。手の平にのるほど小さかった


 とはいえ、生まれてすぐの子猫を袋に入れて捨てることは、許されることではありません。茨城県の動物指導センターに、この出来事を電話で相談すると、「動物の遺棄は犯罪です。まずは警察に相談を」と、110番に電話するように指示されました。


 110番通報すると、ほどなく、最寄りの交番から警察官が我が家までやってきました。その後、パトカーを先導し、子猫を保護した場所まで行って、現場検証が行われました(パトカーを先導するにあたり、法定速度をきっちり守って運転したことは言うまでもありません)。


 現場に着くと、遺棄されていた日時、子猫が入れられていたビニール袋の口がどのように結ばれていたかなど、詳しい状況確認が行われました。そして、現場の写真を撮り、聞き取り調査は終わりました。


 ここで、警察官に子猫を託せば、その後は動物指導センター経て、犬猫の保護活動をしているNPO団体やボランティア団体で保護してもらえます。


 ただ、私の場合は、多少なりとも猫を飼った経験があり、友人たちの手も借りながら、お世話できそうだったので、自分で保護することを警察官に伝えて、その旨、了承されました。


 そして、この小さな子猫は、里親さんが見つかるまでの間、我が家でお預かりすることになりました。三毛猫のメスで、生まれたばかりの赤ちゃん猫なので、仮の名前を「ベビ子」と名付けて、私の乳母生活が始まりました。


 茨城県の猫の殺処分数は、2009年度の3283頭から、2018年度は211頭まで減っており、この10年で激減しています(「平成30年度犬及び猫の殺処分頭数における本県の全国順位について」より)。


 殺処分数が年々減少しているのは、喜ばしいことではありますが、これは動物指導センターで致死処分(収容中に病死・衰弱死したものを含む)された数字です。でも、県の統計にのってこない、私的に殺処分されている犬猫の数を含めれば、この何倍もの数字になるのではないか。今回、子猫の保護に関わった私には、そうした疑念が沸き起こっています。


 今回は、ご近所さんの機転によって、小さな命を助けることができたけれど、一方で、手にあまった子猫や子犬を川に流すという忌まわしい因習から、抜け出せない人が未だにいることも現実です。春になると、そうした噂が否応なく耳に入ってくるからです。


 生まれたての子猫や子犬を川に流すという因習は、大昔なら、眉をひそめながらも、地域で許容していたのかもしれません。しかしながら、1973年(昭和48年)に「動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護管理法)」が制定され、動物の虐待や遺棄を防止し、動物愛護の精神を高め、人間と動物が共生できる社会の実現を目指していくことが明文化されています。


 とくに、動物の遺棄・虐待については、2020年6月から罰則が強化されており、第44条の3で「愛護動物を遺棄した者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する」と定められています。


 つまり、今回、私が保護した子猫を水路に捨てた人は犯罪者であり、見つかった場合は懲役もしくは罰金が科せられる可能性があるということです。


 動物愛護管理法の成立から半世紀が経過しているにも関わらず、人間の都合で動物を遺棄するという無責任な行為が、令和の今も続いているのは残念です。


 犬や猫に避妊手術を施すことは、人間の都合で行われていることであり、彼らにとっては迷惑な話でしかないかもしれません。でも、動物愛護管理法の第7条の5では、動物の所有者に対して「繁殖に関する適切な措置を講ずるよう努めなければならない」としています。増えすぎて自分で飼えなくなったり、貰い手を見つけられずに、手に負えなくならないように、避妊手術をすることも必要な手段のように思います。私は、自分が飼っている猫については、共生の手段として去勢手術をすることを受け入れています。


 里山の自然に恵まれた石岡市の八郷地区は、鶯の初鳴きが聞こえると、草木が一斉に芽吹き始めます。その若草色の山のなかに、点在するこぶしの白、山桜のピンクが点在し、美しい春の風景を描きだします。


 「春山淡治として笑うが如し」という表現がぴったりの、里山の春です。


 でも、その片隅で、小さな命を理不尽に奪う行為が、脈々と続いているとしたら、その風景には途端に影が差しこむでしょう。


 これ以上、理不尽に処分される小さな命を出さないためには、動物との適切な関係性を築いていけるように、地域全体で意識を変える必要があるように思います。そのためには、行政のさらなる指導も必要になるでしょう。


 我が家に来たとき、体重118グラムで、片手にのるほど小さかったベビ子。最初はミルクが上手に飲めなくて、目もなかなか開かず、このままでは生きられないのではないかと心配が尽きなかったけれど、徐々にミルクも飲めるようになり、そんな心配は杞憂となりました。


 1カ月たった今では体重は500gを超え、毎日、元気に走り回っています。幸いなことに、とても素敵な里親さんとも巡り合えて、我が家での生活も残すところ3週間ほどとなりました。それまで大切にお預かりして、里親さんに託したいと思います。


1カ月たって体重は500gに


 子猫には2~3時間おきにミルクをあげる必要があるため、この1カ月は寝不足と戦う日々でもありました。それでもなんとか乗り越えられたのは、この小さな命を救いたいという、たくさんの友人たちがそばにいてくれたからです。直接的、間接的に、物心両面のサポートをしてくれた方々に、この場を借りて御礼申し上げます。


 たくさんの愛をありがとうございました。


 小さな命を通じて、里山の光と影を深く考えさせられた2022年の春です。