中央アジアの国々の多くは、ソビエト連邦の一部とされていたものが、ソ連の崩壊により独立した国家となったものである。最近毎日ニュースで登場するウクライナも、最も西の端のそういう旧ソ連と言われる地域にある。


 筆者らのグループが1997年ごろから何度も現地調査で訪れた旧ソ連の国々の中に、カザフスタンがある。先のこのシリーズの中でも既に複数回登場している国である。お隣のウズベキスタンで先に何度か調査をした後にカザフスタンに入ったのだが、国境を接しているお隣どうしの国なのに、これほど両国間で違いがあるのかとびっくりするようなことがたくさんあった。そのうちのいくつかを何回かに分けて紹介しよう。


 最近では様子が変わったのかもしれないが、2000年に空路でカザフスタンに入った時の、入国審査、特に空港税関での審査は、忘れ難い経験のひとつだった。


 我々は確か4名のグループだったのだが、現地滞在期間が1ヵ月ほどという予定だったので、現金を多めに持っていたし、初めていくところは何があって何が無いかがわからないので、道具類も多めに準備しており、みんな荷物は大きめだった。


 入国の税関では、ひとりひとりばらばらに審査を受けるよう指示され、全員が荷物を全部開けて、長時間かけて中身をひとつひとつ点検された上に、最後のパスポートを返してもらう(パスポートは一連の入国審査が始まる前に係官にとりあげられていた)台のところで、「所持金を全部この台の上に置け。」と命じられた。というか、怖い顔をしてロシア語で怒鳴られるのだが、意味がわからず、「All money!」と言いつつ台の上を指さされて、どうやらそういうことらしいと了解した、というのが正しい。



 それにしても、所持している現金までもを全部出せ、とは、まるで犯罪者扱いである。そこまでのモノの扱いから、台に現金を置いたら、取り上げられるだろうという予想がたってしまったし、それまであっちこっちの国に行ったが、現金を全部出せなどと言われたことはもちろん経験がなかったので、困ったなあと思ったが、現金を出さなければ、パスポートも返してもらえないし、そのゲートも通してもらえず、入国できないのだろうから仕方ない。諦めて台の上に換金前の米ドル札(本シリーズ1を参照)を束で置くと、なんと、係官はそれを手に取って、1枚ずつ数え始めたのである。


 当時、多くの国で、外国人が持ち込める現金には上限が設けられていたが、カザフスタンも例に漏れず上限があり、これを超えた分を没収するつもりなんだろう、と思われた。そもそも上限を超えた現金など、手元に持ち歩いていなかったのだが、どうやら係官の本当の目的は違ったようである。


 現金を数え終わった係官は、その台に置かれた札束の中から、最も高額な紙幣の50ドル札(100米ドル札は偽札が多く出回っていると言う理由で換金できないところが多く、持っていかないようにしていた)を1枚とって、己を指差して「Souvenir, OK!」と言い出したのである。つまり、50ドル札を賄賂によこせ、という要求である。あれこれ時間をかけて嫌な思いをいっぱいさせて、さんざん不安と恐怖心を煽った上で、パスポートも人質にとったまま、金をせびる作戦らしい。これは税関職員による、立派な恐喝である。


 こういう時、中途半端に英語で「Why?」とか言ったり、黙ってしまっていたりしては、相手の思う壺である。それはあれこれ諸外国での経験から身についていた。ではどうするのかと言うと、語調の強い関西弁で言い放つのが効果的なのである。「え、なに言うてんのかわからへん!もうええでしょ!」とすっとぼけて、現金を回収し、パスポートもとって、ブースを出た。


 後にも先にも、税関職員に現金を恐喝された経験は、この国だけである。入国後、カザフスタンの研究者と合流した際に、この出来事の一部始終を話したが、彼は「ふふん」と鼻で笑って、「まあよくあることだ。気にするな」と言うだけで終わってしまった。事実、こんなことが珍しいことではない、というのは、この後も体験することになる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。元京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けば京都大学一筋。研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれた。途上国から先進国まで海外経験は豊富。教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多かった。現国立医薬品食品衛生研究所生薬部部長。