2016年10月に、茨城県石岡市の八郷地区に移住してから、6度目の梅雨の季節を迎えました。この時期、谷地につくられた谷津田など、水のきれいな田んぼでは、蛍が飛び交う姿が見られます。里山の変化に飛んだ自然を有する八郷は、季節の移り変わりが鮮明です。それを肌で実感するようになり、腑に落ちるようになったのが七十二候です。


 七十二候は、春夏秋冬を6つの気に分けた二十四節気を、さらに5日ごとに分け、草木や鳥、虫など、自然界の動植物の様子を通して、刻々と移ろう自然の営みを表しています。


 たとえば、桃の花がほころび出す3月10日~14日頃は「桃始笑(ももはじめてさく)」。そして、4月4日~8日頃は、「玄鳥至(つばめきたる)」。冬の間、あたたかい地域で過ごしていた燕が海を渡り、民家の軒先で巣づくりを始めるさまを表しています。


 今は「梅子黄(うめのみきばむ)」。カレンダーの日付では、6月16日~20日頃で、春に花を咲かせた梅が実となり、黄色くなる時期を指しています。


 八郷では、農家に限らず、梅の木を植えている民家も多く、この時期は、あちこちで梅の実を収穫する人の姿を見かけます。そして、この梅の実を使って保存食をつくるのが「梅仕事」です。我が家の隣の畑にも立派な梅の木が4~5本あり、地主さんのご厚意で自由に収穫させてもらえるので、移住してから、毎年この時期には梅仕事をするようになりました。


 梅の実が青いうちにつくるのは、梅酒、梅シロップ、青梅の甘露煮、梅味噌、カリカリ梅など。そして、梅が黄色く熟してきたら、梅干しと甘酢漬け。なんだかんだで、1カ月ほど、梅仕事に追われます。少し手間はかかりますが、できあがりのおいしさを想像すると、梅仕事はやめられません。


 毎年の楽しみにしていた梅仕事ですが、今年は残念な状況にあります。


 昨年まで、採っても、採っても、採りきれないほど、実をつけていたお隣の梅の木に、数えるほどしか、実がなっていないのです。今年は、年明けの気温が低く、開花時期が遅れ、ミツバチによる受粉が進まなかったことが不作の原因のようです。


 お隣の梅の木を観察していた私が見る限りでは、ゴールデンウィーク明けの冷たい雨で、せっかくなった実のほとんどが落ちてしまったのも、不作につながったように思います。近所の友人たちに聞いても、「今年は、ほとんど梅の実が採れない……」と嘆いています。


 何もしなくても、6月になれば梅は採れるもの。それが当たり前となっていたため、今年の不作は衝撃でした。採れない代わりに、どこかで梅を買うのか。それとも、今年は梅仕事をあきらめるのか。梅干しをつくらなくても、命がなくなるわけではないけれど、当たり前にあったものがなくなる時には、新たに思考を巡らせる必要が出てきます。


 当たり前にあるときは、そのありがたさに気づくことはないけれど、なくなってみてはじめて、その大切さに気づくことは多いのかもしれません。


 「医薬経済」本誌で連載中の石岡市の病院再編問題は、2021年3月、新型コロナウイルス感染症の影響によって、途中まで進んでいた公立病院の設立計画が白紙撤回されました。その後、診療を停止した石岡市医師会病院を、同じ市内にある山王台病院が買収することで一応の決着をみました。


 現在、石岡市医師会病院の跡地では、山王台病院が運営する新たな病院が診療をしています。そのおかげで、都市部に比べると、石岡地域の医療資源は乏しいけれど、それでも今はまだ、いつでも診療を受けられる医療機関が市内にあります。


 とはいえ、石岡市医師会所属の医師の平均年齢は、63歳(2018年当時)で、もう20年近く、新規開業する診療所はありません。このまま、何も手を打たなければ、10年後には市内の医師の平均年齢は、さらに高くなり、1軒、また1軒と、診療から撤退する医療機関が出てくるでしょう。今は当たり前に受診している医療機関が、ある日、突然、なくなってしまうことも否定できません。


 医療機関の消滅は人の命に直結する問題です。さらなる医師不足の兆しがある以上、10年後を見据えて、今から次の対策をとっておかなければ、石岡市の地域医療は取り返しのつかないことになるかもしれません。


 実をつけるのが当たり前だと思っていた梅が、今年は、まったくというほど実をつけなかったように、市内に病院や診療所があるのも当たり前ではないのです。今年、実をつけなかった梅の木は、そのことを教えてくれているような気がします。

 

 例年は、たくさん採れた梅の実で、あれこれつくれたけれど、今年はわずかに採れた梅の実で、何をつくるか思案中です。いずれにしても、今年の梅でつくったものは、貴重なものになりそうです。


今年わずかに採れた梅の実。何をつくるか思案中