わが国における糖尿病治療の黎明期から臨床と研究に携わり、現在は日本糖尿病協会(日糖協)の理事長を務める清野裕氏は、『糖尿病のスティグマと真のアドボカシー』で、「医療者や医薬業界関係者が、スティグマの発生源であることが非常に多いという事実を知っていただきたい」と述べている。
スティグマは「ある特定の属性を持つ人に否定的な価値を付与すること」を指す。一方、アドボカシー(権利擁護)とは、「患者の権利を守るため、組織・社会・行政・立法に対し、主張・代弁・提言を行うこと」である。いずれも概念的で、すぐには理解しにくいが、「まず患者が被っている不利益や差別・偏見が何かを知り、それを解消して初めてアドボカシー活動といえる」と清野氏は語る。
■ありがちな表現の落とし穴
日糖協は去る7月23日、24日の両日、第9回年次学術集会を開催した。注目すべきは『企業におけるスティグマ認識の現状と課題』をテーマとした“EXPERT社員”シンポジウムだ。
同協会は2019年5月、「糖尿病療養支援チームの一員として病態や治療に関する高い水準の知識や糖尿病に関する新しい情報に精通するため研鑽を積み、我が国の糖尿病医療に貢献すること」を目的に「糖尿病関連企業EXPERT社員認定制度」を創設。21年2~3月に第1回認定試験を実施し、6月に1,689名が認定を受けた。認定対象は、協会の賛助会員(団体)である製薬企業・医療機器製造企業に所属する社員で医療情報提供者(MR)資格の有無は問わない。試験に先立って受験者が取り組む日糖協e-ラーニングの「糖尿病の現状と課題」の項目に「スティグマ」「アドボカシー」も組み込まれている。
22年3月に日糖協企業委員会参画企業34社(医薬品18、医療機器11、食品4、その他1)に対して行ったWebアンケートには3,164名(EXPERT社員1,550、それ以外の社員1,614)が回答。「スティグマという言葉」を全体の92.8%が、「アドボカシー活動」は75.1%が「概ね理解している」とし、言葉の認知の高さが示された。しかし、後者については「具体的な活動はわからない」が21.7%を占めた。
「スティグマをなくすために取り組むべきこと」(複数回答)は、「企業を含め医療従事者の認識を高める」85.5%、「使うべき言葉/使わない言葉の整理」65.7%という結果だった。
ディスカッションでは、自社製品の特徴を伝える文言〈図〉の中に無意識のスティグマが潜んでいないかについても問題提起された。会場からは「企業としては開発治験のデータをベースに情報提供するので、例示されたように、“有効性のみにフォーカスして効果を押し付ける”こと自体がスティグマにつながることは十分考えられる」との気づきを述べる人もいた。
また、企業委員とともに司会進行を務めた山田祐一郎氏(関西電力病院)は、「医療関係者がより個別化して治療を選択しようとする一方、企業の論理としては大きく括ってレッテルを貼る方がやりやすい。“肥満2型糖尿病患者さん”が実はスティグマかもしれないといったことも今後考えていただければと思い、例示した」と説明。さらに、「日糖協では“糖尿病患者”という言葉が本当にいいかどうか、“糖尿病があるかた”“糖尿病を持つ人”の方がよいのではないかという議論もしている」と紹介した。
セッションのまとめとして、「アドボカシー活動や、スティグマをなくすために医療従事者・企業ができることを整理して明日から活動する」ことが重要とされた。活動の具体例として、❶言葉の整理(自らの言動、企業HP、企業作成物改訂)、❷企業単位でのアドボカシー開発の研修拡充、❸企業が行えるアドボカシー活動の再考、❹市民公開講座・講演会での情報発信などが示された。
■糖尿病スティグマの現実
5月の第65回日本糖尿病学会年次学術集会でも、『糖尿病のスティグマ』についてのシンポジウムが組まれ、6つの講演が行われた。後半は、糖尿病を持ちながら活躍する3名、南昌江氏(福岡市・南昌江内科クリニック)、大江裕子氏(神戸大学医学部附属病院看護部)、岩田稔氏(株式会社Family Design M、元プロ野球選手)が、自らの体験を語った。それぞれ、7歳、14歳、17歳で1型糖尿病を発症している。
南氏は1977年、ガラスの注射器を自宅の鍋で煮沸消毒する方法でレンテ型インスリンから開始。現在のリアルタイムCGMを併用したインスリンポンプ療法〔SAP(Sensor Augmented Pump: サップ)療法〕までインスリン治療は飛躍的に進歩した。医師は「インスリンさえ打てれば何でもできる。他の人と変わらない」とこともなげに言うが、実際には20歳になった途端に治療費の公的助成がなくなる。
実際、1型糖尿病患者647例(16歳未満に発症し調査時20歳以上、平均年齢/罹病期間は男性29.7歳/20.3年、女性31.7歳/22.8年)を対象とした調査では、医療費を「大変重い負担に感じる」人が46.9%、「医療費のために治療が不十分になっている」人が28.0%を占めた。最終学歴は大学・大学院が26.3%、就業者63.4%(正規雇用者37.0%)、就職の際、糖尿病のことを「告げた」42.9%/「隠した」25.2%。年収の中央値は男性310万円、女性153万円。結婚経験は男性32.9%、女性48.8%。「糖尿病があることによって“有意義な人生を送れない”と大いに感じている」人が22.4%いた(平成26~27年度厚生労働科学研究費補助金「1型糖尿病の疫学と生活実態に関する調査研究」)。
こうした状況ではセルフスティグマ(自尊心の低下)が起こりがちだ。この問題に対し、南氏は「セルフスティグマを乗り越えるのはあくまで患者自身」「医療者に求められるのは寄り添いともに考えること」「可能なら楽しみや苦しみをともに味わうことができる場所をつくることこそがアドボカシー活動」と締めくくった。
また、大江氏は、受験、就職、結婚、マンションの購入・買い替えというライフイベントで経験したスティグマを紹介。看護学校、病院、銀行、保険会社など同じ括りでも、学校や会社、担当者によって、糖尿病を持つ人への対応が大きく異なっていた。そこで、「血糖コントロール良好な人についてさらなるデータ収集を行い、分析結果を広く発信して、世の中の糖尿病患者さんに対する悪いイメージ、予後不良と言う誤解を払拭していただきたい」との希望を述べた。
2型糖尿病のスティグマについては、経験者自身の発表はなかったが、他の講演者から「発症によって社会から“病者”というラベル付けられ“自己管理に欠如した者”とみなされること」によって、性格の非難(だらしない、節度がない、管理ができない等)や能力の否定(降格、失職、内定取り消し、生命保険や住宅ローンを利用できない等)など、否定的な経験に直面するとの指摘がなされた。
1996年頃から使われるようになった「生活習慣病」は、元来「食事や運動、休養、喫煙、飲酒などの生活習慣が深く関与し、それらが発症の要因となる疾患の総称」とされた。2型糖尿病は、遺伝的素因に環境因子(加齢、過食、運動不足、肥満等)が加わって発症するが、さまざまな要因は抜け落ちて、短絡的にその人の性格や行動のみに問題があると見なす傾向が見られる。各種の「生活習慣病」についても、過去四半世紀に集積されたエビデンスに基づき、整理し直す時期が来ているのではないだろうか。
【リンク】いずれも2022年8月18日アクセス
◎公益社団法人 日本糖尿病協会.
“アドボカシー活動.”
https://www.nittokyo.or.jp/modules/about/index.php?content_id=46
“糖尿病関連企業EXPERT社員認定制度”
https://www.nittokyo.or.jp/modules/doctor/index.php?content_id=49
◎厚生労働省 e-ヘルスネット. “生活習慣病とは?”
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/metabolic-summaries/m-05
[2022年8月18日現在の情報に基づき作成]
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本島玲子(もとじまれいこ)
「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。
医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。