被験者に治療や指導などの介入を行い、その結果を評価する臨床試験。なかでも、承認申請に必要なデータを収集し、治療薬候補を世に出す上で欠かせないのが治験だ。これまでの臨床試験では、実施施設への移動や拘束時間といった物理的制約が、被験者の参加判断や参加時の負担に大きな影響を与えるとされてきた。そうした中、ヘルステックの進化とも相まって注目されているのが、試験の一部または全部を従来型の実施施設外で行う『DCT(decentralized clinical trials)』である。本稿では、❶国内外の動き、❷先行する完了・計画・中止例での知見、❸生成AI活用に関する専門家の見方をまとめた。
※なお、本文中の『 』内に示した臨床試験やAIの関連用語を記事の最後にまとめたのでご参照いただきたい。
■日米欧とも議論が本格化
【日米欧の動き】DCTの構想は2000年代初めからあり、11年にはファイザー社が過活動膀胱治療薬トルテロジンの開発過程で、先駆的な試みとして全米でREMOTE試験を実施した。
近年はデジタルヘルス技術の進歩やコロナ禍での移動制限もあって、議論が本格化した。欧州医薬品庁(EMA)は22年3月にEU DCT projectを立ち上げ、同12月に「臨床試験の分散化要素に関する勧告」のドラフトを発表。米国では米国保健福祉省(HHS)と米国食品医薬品局(FDA)が23年5月、ステークホルダーのコメントを得るための「ドラフトガイダンス」を公開した。
一方、日本では製薬協(医薬品評価委員会 臨床評価部会)が20年9月に「医療機関への来院に依存しない臨床試験手法の導入及び活用に向けた検討」報告書を取りまとめた。これをもとに翌21年11月の規制改革推進会議(第5回医療・介護WG)で、松澤寛氏(アステラス製薬、経団連)が『治験に関する環境整備について』説明。DCTの実現に向けて、❶GCP省令のガイダンス等による「非対面および遠隔での治験説明および同意取得」の明確化、❷「治験薬の自宅への配送」(治験依頼者の治験薬保保管庫等から被験者の自宅等への直接配送の可否)の明確化、❸「治験における訪問看護活用機会の拡大」(治験施設支援機関SMOの看護師などDCTにおける訪問看護の担い手確保)〈図〉のほか「治験届の完全なデジタル化」(紙・電子媒体提出の廃止)を要望した。
【DCTの定義と注目点】上述したEUの勧告案は「治療薬候補の臨床試験を従来の実施施設外で実施すること」を「分散化(decentralization)」と定義。国ごとのガイダンスが未整備の状況で、加盟国がコロナ禍のような有事だけでなく平時にも「分散化要素(decentralised elements)」を取り入れやすくするために作成された。目標は、参加者の権利とwell-being、収集されたデータの頑健性(robustness)と信頼性を保護しながら、DCTを促進することと謳っている。
また、FDAのガイダンス案ではDCTを「臨床試験に関連する活動の一部または全部を従来の実施施設以外で実施すること」と定義。規制当局がDCTに関心を寄せる理由として、「アクセシビリティ」(特に希少疾患患者、移動や認知機能に問題のある患者の参加、参加者の社会経済・分化的な多様性の拡大)、「患者の利便性」、「効率」、「(コロナ禍の例のように)感染性疾患がある状況での実施」を挙げている。
一方、製薬協の報告書は、「医療機関への来院に依存しない臨床試験」を「DCT(分散化臨床試験)」と呼ぶとしており、実質的にはFDAのガイダンス案と近い捉え方といえる。
■糖尿病やLong COVIDも対象に
DCTの具体例を知るため、米国『ClinicalTrials.gov』で“decentralized clinical trials”をキーワードに登録されている臨床試験を検索したところ、登録試験は82件で、うち22件が薬剤(生物学的製剤を含む)による介入だった〈図〉。以下に、DCTの実際をうかがえる特徴的な事例をピックアップした。
※本項では各製品の商標表示を省略している。
【@HOME/Optimize@Home:2型糖尿病、完了/実施中】スポンサー企業は異なるが、実施医療機関はオランダのフローニンゲン大学医療センターで、患者が使用するデバイス等も共通である。
両試験とも被験者は自宅で❶朝起床後の尿サンプルと❷毛細血管血サンプルを採取し、❸血圧と❹体重を自己測定する。❶にはPeeSpot(蘭Hessels & Grob社)を使用し、ホルダーに置いた吸収パッドに直接排尿。両者をチューブに挿入し蓋で密封し冷蔵保管後、生物学的材料封筒PolyMed(蘭DaklaPack Group)で研究室に送る。❷はBD Microtainer接触活性化ランセット(米Becton Dickinson社)とHem-Colチューブ(蘭Labonovum社)で採取。❸❹には臨床的に検証済みのインターネットに接続する血圧計(Withings BPM Connect)および体重計(Withings Body+)を用いる。いずれもWithings(仏ウィジングス社、コンシューマーエレクトロニクスメーカー)製だ。また、@HOMEでは、服薬アドヒアランス確認のために、MEMS Cap Smart Pill Bottle(米AARDEX Group)が用いられた。
被験者は試験期間中、3回(スクリーニング訪問、2回目訪問、研究終了時訪問)外来診療所に出向き、2回目に検査技師の監督下で採血を練習する。
【PAX LC:Long COVID、実施中】Long COVIDに対する、ファイザー社のニルマトレビル/リトナビル(米国の販売名PAXLOVID)の有効性・安全性を検討する試験。主任研究者は、米国イェール大学医学部のHarlan Krumholz教授(心臓病学、健康政策)だが、岩崎明子教授(免疫生物学)も関わっている。同大の広報では、参加したLong COVID患者の体験談とともに、心身に負担のある」被験者におけるDCTの意義が語られている。
【TELEPIK:進行乳がん、中止】スウェーデンで、アルペリシブ(PI3K阻害薬、日本未承認)とフルベストラント(抗エストロゲン薬)の併用療法を行った特定の変異を持つ乳がん患者を対象に、治療後の有害事象や遠隔フォローアップをDCTで行うことの概念実証のためのパイロット試験が行われた。適格患者は25例ほどで20例の参加を見込んでいたが、2例しか集まらず半年で中止となった。
今年8月、Nature Groupのnpj Digital Medicineに当の研究者によるコメントが掲載された。終了後に、試験関係者(実施施設の治験責任医師、治験看護師)および近隣病院の乳がん専門医に、TELEPIK試験の設計に関する見解を聴取。その結果、「TELEPIKで用いられたソリューションが病院のインフラとは統合されていない上、ヘルプデスクの体制が貧弱で、試験関係者に過度の負担(デジタル・オーバーロード)がかかった」「治験担当医と主治医との責任分担が不明確だった」などの問題点が明らかになった。ただ、研究者らは、こうした課題の把握は有意義だったと前向きに捉えている。
■AI活用で生まれる新たなチャンス
では、国内でのDCTの現状と展望はどうなのか。去る7月24日に大阪大学医学部付属病院 未来医療開発部(DML; Department of Medical Innovation)DCT/DX推進グループが開催したセミナーから、山本晋也氏(DML招聘教授、連続起業家)の講演内容を紹介する。DMLは、特定機能病院の責務である「高度な医療技術の研究・開発」を統合的・効果的に支援するための組織として02年に設置され、07年からは文科省・厚労省の支援を受け、『研究支援組織(ARO)』としての体制を整備してきた。
山本氏は、23年の厚労科研特別研究事業「生成AIを用いた治験・臨床研究関連文書のデジタルトランスフォーメーションに向けた研究」(研究代表者:浅野健人DML特任准教授)で、「提案書から標準化文書の自動生成」や「電子カルテからの自動情報抽出精度」の研究に協力している。講演では、治験を、イエローキャブ(従来型治験)、ウーバータクシー(『hybrid DCT』)、自動運転タクシー(『full DCT』)に例えて日米の経緯と現状を解説し、“日本型DCT”への展望を示した。
【治験にQuality by Designを】一見DCTと無関係に見えて大いにあるのがGCPイノベーションの話題。「ICH E6(H3)医薬品の臨床試験の実施基準ガイドライン」案では、原則の一つとして『Quality by Design』(QbD)を謳っている。QbDとは、ウーバーや、アマゾンの電子商取引(EC)がまさにやっているように、デジタルデータを集めてユーザー体験がどんどん最適化されるように、先回りしてオペレーションやクオリティを上げていく活動そのもの。プロセス改善よりもっと高度なやり方だ。
米国のイエローキャブは、流しで走って行き当たりばったりで客を拾う従来モデルで、データもとらない。ウーバーの出現でドライバーがそちらに流れた。さらに今年6月、サンフランシスコで自動運転タクシーの一般向けサービスも開始された。
伝統的な治験はいわばイエローキャブモデル。Excelやメール、電話、FAXを使っている。複数のベンダーのシステムを混ぜて使わざるを得ないから、データがつながらないし最適化されない。泣くのは間に立つ人間。それでも何とかやっているのが、日本(人)のすごいところ。日本の現状にもう少しテクノロジーを加えてQbDをやったら“治験のウーバー”をつくれるのではないかというのが私の仮説だ。
【黎明期システムベンダーの挫折と復活】世界で最初にDCTのオペレーションを始めたのは、米国のScience37社。Harbor-UCLA Medical Centerの2人の皮膚科医が14年に設立したシステムベンダーだ。ドライとウェットを混ぜたような形(hybrid DCT)で、14~22年に中枢神経系(CNS)領域や皮膚科領域を中心に148件の治験を実施。20年には100~150億円売り上げていたにも拘わらずその後は急減。24年にeMed社(遠隔医療・診断関連の企業)に約50億円で買収された。
失速の理由は、プロトコールごとにシステムを最適化することが難しく、タスクの自動化が甘かったからだ。売り先の実務者が使いこなせず、負荷がかかった。2,000例規模を超えると人間の力だけではどうにもできなくなり、運営をあきらめてしまった。
ところが、これでは終わらなかった。Science37は買収されたものの、社名も残って、自動運転に相当するようなシステムを生み出した。MetasiteTMと呼ばれる、実施医療機関が一つもない治験(full DCT)を見事に体系化したのだ。バーチャルホスピタルのようなものがオンライン上にあり、そこに治験責任医師(PI)、治験補助医師(SubI)、治験コーディネーター(CRC)などが紐づくプラットフォームを確立した。限られた疾患領域・プロトコールではあるが、昨年までにCNS領域におけるグローバルファーマのPhase2bやPhase3でいくつか成功体験を積んだ。また、重大な問題を指摘されることなく、今年5月にFDAの査察を通った。同社のこのモデルが、米国でこれから大流行りするか、再び潰れるかわからないが、注視している。
【AIエージェントをつくる・使うのは人間】今後のDCTに欠かせないのは『AIエージェント』だ。いまの生成AIは『汎用人工知能(AGI)』の段階までは達しておらず、臨床試験に関わる多様なタスクを全て一括して行うことはできない。そこで、各タスクを行うAIエージェントをたくさんつくり、統合することで効率化を図る。生成AIを動かす場合、これまでは人間がプロンプトを入力し、レビューし、改善したプロンプトを再入力するといった面倒な繰り返し作業が必要だった。しかし、「(プロンプトを)実行(する)エージェント」「評価エージェント」「修正エージェント」をつくり、セットにして動かすことで、プロンプトが自律的に改善されて理想のものに近づいていく。その先にQbDがある。
AIエージェントはユーザーインタフェイス(UI)には現れない。UIの裏でどんなAIエージェントを動かすようにデザインするかは、今後あらゆる産業の人間がやるべき仕事だ。だから、人間の仕事はなくならない。臨床試験のプロにとっては、これからは「現在の作業をどれだけ自動化するかというアイディアを働かせる」わくわくすることが仕事になる。
【DCTの方法は国・地域ごとに分散】もしMetasiteTMのような米国型のプラットフォームで治験をこなせるようになったら、投資利益率(ROI)が高いので、企業が投資するようになるかもしれない。
ただ、グローバル治験をMetasiteTMでやってくださいと言われても、日本の法・制度や被験者の受け入れ度合いなどを考えるとできないのではないか。DCTのやり方は、米国はこれ、日本はこれ、欧州はこれ、のように国や地域ごとに分散していくと予測される。したがって、「これからは日本のやり方を考えてデザインしていかねばならない」というのが、私のキーメッセージだ。
【ARO+医療機関の創造性、異分野との共創が鍵】「阪大ではDCTでこういうオペレーションをしていますよ」と、海外のバイオファーマやバイオテック等の企業担当者に話すと、「直接話を聞きたい」と文字通り飛んでくる。例えば、東アジアにしか患者がいない疾患に対して、従来型の治験ではROIが低いから大手は二の足を踏む。しかし、分散化して、“Think globally, act locally”ではないが、例えば日本と韓国と台湾など「一部の国だけでDCTを回せますよ」となると話は変わり、新たなチャンスが期待できる。そうした未来を実現するためには、企業が主導というよりは、パートナーサイトとしての医療機関とAROを主軸とした異分野との共創が鍵になってくるのではないかと考えている。
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今年2月の米国Rare Disease Day(RDD)では、希少疾患の「治験の工夫」としてDCTが挙げられていた。希少疾患に限らず、DCTを活かすには、法・制度を整備し、関連のデジタルヘルス技術を一つ一つ実装し、被験者を含む一般国民への理解を促してしていく必要がある。生成AIの急激な進化により、アイディア次第で障壁を超えられる可能性が出てきており、まさに従来の枠組みにとらわれない共創が重要になると思われる。 {{page_本文中の臨床試験・AI関連用語一覧 へ}} 【本文中の臨床試験・AI関連用語一覧】
(1)臨床試験関連
分散型臨床試験(decentralized clinical trials):臨床試験に関連する活動の一部または全部を従来の実施施設以外で実施すること。医療機関への来院に依存しない臨床試験。
分散化臨床試験、バーチャル臨床試験(virtual CT)、ウェブ上の臨床試験(web-based CT)、実施施設のない臨床試験(site-less CT)、リモート臨床試験(remote CT)など、日本語・英語ともにさまざまな呼称がある。
フルDCT(full virtual DCT, full DCT):被験者が実施医療機関に全く来院せずに(あるいはごく限定的な来院のみで)行うDCT。
ハイブリッドDCT(hybrid DCT):被験者が実施医療機関のほか、自宅や周辺医療機関で行うDCT。
クオリティ・バイ・デザイン(QbD; Quality by Design):一般的には、設計による品質の作り込みを意図した開発経緯の概念。最終製品の品質は最終段階でテストするだけでなく、プロセスごとに確立することで、一貫した品質を得ることができるという考え方。臨床試験の文脈では、試験が成功する(試験でResearch Questionsに答える可能性を最大限に高める)ため、試験の全ての構成要素に焦点を当てること。
臨床研究支援組織(ARO; Academic research organization):研究機関や医療機関等を持つ大学等がその機能を活用して、臨床研究や非臨床研究、医薬品開発などを支援する組織。
患者報告アウトカム電子システム(ePro; electronic patient reported outcome):スマホなどの携帯端末(タッチポイント)を通じて、患者の状態や状況を医療者にリアルタイムに伝えるシステム。
ClinicalTrials.gov:米国国立公衆衛生研究所(NIH)とFDAが共同運営し、米国国立医学図書館(NLM)を介して、医学関係者や研究者、患者や一般の人々に、現在行われている臨床試験や治験に関する情報を提供しているデータベース。
(2)AI関連
AI エージェント(AI agent):人間が与えた目標を達成するために、自律的に外部ツールを選択・使用して動作するAI。
汎用人工知能(AGI; artificial general intelligence):人間のように多様なタスクや課題を理解し、解決するための行動が可能な人工知能。
2024年8月28日時点の情報に基づき作成
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本島玲子(もとじまれいこ)
「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。
医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。