シリーズ『くすりになったコーヒー』


 平均寿命が伸びて、「百寿時代」と言われるようになりました。でも黙って喜んでいる訳には行きません。「アルツハイマー病(AD)になるのは嫌」という人は大勢いますし、「がんで苦しむのは嫌」という人も沢山います。そういうご時世ですから、拙著「がんになりたくなければ呆けたくなければ、毎日コーヒーを飲みなさい(集英社)」がそこそこ売れ続けているのです。それでも全員がADやがんになる訳ではありません。本当に恐ろしいのは、年を取ると誰もが罹る慢性腎臓病(CKD)なのです。


●年を取ると誰でも腎臓機能が低下する(詳しくは → こちら



 図1のポスターは、厚労省ホームページの一般向け啓発ツールです。強調されているのは、CKD早期発見の検査項目で、要点は「蛋白尿と推定糸球体ろ過量eGFR」に要注意とのことです。そして、濃い青帯の中に「安心して治療を受けられる医療体制の整備に取り組んでいます」と書いてあるのは、裏返せば、「今は未だ確かな治療方法がありません」ということです。


 さて、eGFRの数値は年とともに低下します。これを食い止める有力な方法がないのです。あるのは主に栄養制限療法で、タンパク質、塩分、カリウムなどを減らした食事を摂るように指導されます(詳しくは → こちら)。ところが筆者も大好きなコーヒーに、もしかしたら大事な腎機能を百まで持たせるパワーがあるかも知れません。


●毎日コーヒーを飲む人は、年齢に応じてeGFR値を高く保つ(詳しくは → こちら)。

適度にコーヒーを飲むということは、毎日2~3杯を飲むことで、そうすれば同年齢者の検査値分布の幅の中で、比較的高値を保てるということです。ただし、メタボリックシンドロームの高齢者がコーヒーを飲み続けると逆効果で、腎機能の低下を早めるリスクが高まります(詳しくは → こちら)。


●突然現れた見事な論文を読んだ(詳しくは → こちら

 急性腎障害(AKI)とは、何らかの理由で腎機能が突然低下する病気です。寛解せずに慢性化すると、CKDに転機して、eGFRが低下して、年とともに悪化して、やがて腎不全になってしまいます。この論文には、そんなAKIの病理学を物質代謝の面から研究したデータが載っています。


 そのデータを見ると、AKIでは、「必須アミノ酸のトリプトファンから始まるNAD生合成デ・ノボ経路(図2)の中で、まずキノリン酸(最上段の右)の高値(蓄積)が起こって、それが原因と思われるNADの欠乏」が見つかったのです。そこで、「キノリン酸高値の原因」を突き詰めてみたら、キノリン酸をその次のNAMNに代謝する酵素が減っていたのです(右側の赤枠を参照)。この酵素はデ・ノボ経路の主要酵素で、失活はNAD欠乏を起こすことが分かっています。


 キノリン酸が増えるもう1つの理由として、やや古い論文ですが、CKD患者では中間体ACMS(図2の最上段中央)を分解する酵素の不活化が起こっていて、キノリン酸が増えると書かれています(詳しくは → こちら)。



 図2をご覧ください。複雑な絵ですが、腎臓だけでなく全身の全ての臓器の細胞の中で、この代謝経路が正常に働いていれば、元気な臓器を長持ちさせて、百寿時代に備えた体になるのです。NADがその中心に居ることに、世界中の医学研究者が注目しています。


 図2の左下にある赤い大きな分子がNAD、その右側のサルベージ経路は「NADのリサイクル」を実現して栄養素の無駄使いを省きます。と同時に、回路の下の青色部分にある4つの酵素にも注目です。この4つの酵素はどれもがNADを加水分解することで、自らは活性化して、独自の生理作用を発揮するのです。


 例えばSIRT1は別称「長寿遺伝子産物」とも呼ばれるもので、加齢が原因の心臓病や脳卒中を予防する役割を担っています。PARPは酸化障害で傷ついた遺伝子を補修する役割で、突然変異を防いでがんを予防します。CD38とSARM1は、老化が進むと増える傾向があるので、NADを減らす原因分子とも言われています。しかしその一方で、本来の役割はウイルス感染に対抗する免疫系と関係すると言われています。未だ不明点が多いので、その役割を一般の人に説明できる段階にはなっていません。最近発表された論文を日本語で解説したネット記事があるので、それを紹介しておきます(詳しくは → こちら)。


●「デ・ノボ経路が動かないなら、サルベージ経路がある」との意見で、ニコチン酸①は無視される。

 今世紀になってからの話ですが、「赤ワインのレスベラトロールが長寿遺伝子を活性化する」との発見の影響は絶大でした。「NADを増やす新しいサプリメントを見つければ、大儲けできる」との経済的研究志向で多くの論文が書かれました。そして今注目されている候補物質として③と④があるのです(図2)。それぞれの研究者は、「③と④はビタミンB3の①と②よりもずっと優れている」と、論文を書く度に主張しています。①と②は、実は100年も前からビタミンとして長い実績をもち、かつ安価でもあるため、③と④の新たな上市にとって「目の上のたん瘤」になっているのです。これに気づいている研究者の論文は滅多に発表されません。


●NADはあらゆる天然の食べ物に含まれている。

 植物でも動物でも、NADはあらゆる細胞の中に入っています。しかし、食べても吸収されないことも解っています。そこで、食べればNADに変化する成分を見つけて、それをNADブースターと呼んでいるのです。図2の①~④およびトリプトファンの5つがあります。


 ③と④を市場に出したいと思っている研究者は、「年を取るとデノボ経路は不活性なので、サルベージ経路が優れている」と言っています。しかし、「突然現れた見事な論文」によって、①のニコチン酸は、酵素の失活とは無関係なため、ブースターとしての資格を取り戻しています。一方、②のニコチナミドは、その後に長寿遺伝子産物SIRT1を阻害することが解って、ブースターの資格を亡くしました。


 ニコチナミド②が、サルベージ経路の1つの要素でありながら、NADブースターとしては失格でした。このことは、高齢者にとって非常に残念なことです。何故なら②は、豚肉や牛肉その他、動物性食品に豊富に含まれているからです。もう1つのVB3である①は、玄米や深く煎ったコーヒーから摂ることができますが、玄米を好んで食べる人は少なく、コーヒーは飲みたくても苦過ぎるという人が多いので、食べ物選びが大変です。年を取ってVB3の1日必要量を①だけに頼るとなりますと、その他の食べ物としてはキノコ(ヒラタケ)かピーナッツしかないのです(第449話 → こちら)。


 では①の一般用薬やサプリメントはどうかと言いますと、国内での製造販売が今年の3月で中止となったので、海外から取り寄せるしかありません。こういう諸般の事情が複雑に絡み合って、NAD市場は新たなブースターに占有されかねない状況になっています。


●ニコチン酸①はNADブースターとして有効である可能性が強い。

 身体が求めるNADの量を、ニコチン酸①だけで賄おうとすれば、その1日必要量は10∼20㎎となっています。新ブースターを開発する研究者は、ニコチン酸には「飲むと顔面が真っ赤になって痛みを伴う」副作用があると論文に書いて、ブースター候補から外そうとしています。しかし、飲むと顔が赤くなるフラッシュ作用は、1日投与量が少なくとも500㎎、最大3gのときに発現する薬理作用で、これにはNADは関与していません。まとめると、①が嫌われる理由の1つ、「高齢者ではデ・ノボ経路が失活している」は、①にとっては避けて通れる障害であり(図2)、もう1つの理由「フラッシュの副作用が出る」は、ビタミン投与量(=ブースター投与量)の範囲ではあり得ない話です。結局、次のような作業仮説が意味を持ってくるはずです。


●高齢者のNADブースターとしての第1選択はニコチン酸①である。

 コーヒーのニコチン酸①は、失活した酵素作用点(高速道路の事故発生点のようなもの)を避けてデ・ノボ経路に合流します(図2)。深く煎ったコーヒー1杯に、最大5㎎が入っています。1日3杯を飲めば、必要量を賄える計算になります。


 以上をまとめますと、加齢によるeGFRの低下が原因のCKDでは、NAD欠乏が起こっていて、その補給のためにニコチン酸①が有効である可能性は高いと思われます。これを証明する臨床試験があれば良いのですが、今のところその話はありません。ごく最近、NADとそのブースターに関する総説論文が発表されましたが、①については依然として副作用の記載があるだけです(詳しくは → こちら)。


 結論として今言えることは、高齢者が健康診断でeGFRの速い低下を指摘されたら、①を含む深煎りコーヒーを飲むことです。苦くて飲みにくいという人は、深煎りコーヒーの苦味を消した「希太郎ブレンド(詳しくは第439話 → こちら)」を飲むことです。新たなブースター③と④は、ビタミンでは対応できない医学的要請に応じて使う選択肢になり得ます。

(第459話 完)