シリーズ『くすりになったコーヒー』


 さまざまな食事が人間の脳の発達にどのように影響しているか?この難しい課題に中国の研究者が、英国バイオバンクの健康成人18,879人の食事を解析して挑みました(詳しくは → こちら )。

●脳の灰白質容積とコーヒーまたはシリアル摂取量の間に、逆の相関関係が認められた。

 この複雑な関係を「えいやっと」思いっきり簡単になるように切り出してみました。すると、朝食でお馴染みのシリアルは灰白質の容積を大きくし、コーヒーは小さくするという逆の相関関係が見られたのです。これを絵に描くと図1のようになります。



 灰白質とは、大脳表面下にある灰色の組織で、イラストで描いた神経細胞体の集合です。一方、神経細胞体から伸びている軸索(情報発信/受診を行う部分)は灰白質より内側の白質に詰まっています。そのため灰白質と白質では働きが異なるという訳です。論文によりますと、


●毎日コーヒーを飲むと灰白質が小さくなり、シリアルを食べていると大きくなる。

 かと言って、脳はただ大きくなればよいというものではありません。この研究のインパクトが大きい理由は「食べ物で変わる脳の大きさとは一体何を意味するのか?」という興味津々の疑問が生じるからです。科学者だけでなく一般の人々も答えを知りたい疑問です。しかし、答えはまだありません。少しでもヒントは無いものかと、脳の他の部分の大きさとコーヒーの関係を書いた論文を探しました。


●毎日コーヒーを飲んでいる健康な高齢女性では、白質の容積が有意に大きい(詳しくは → こちら )。

 コーヒーは灰白質を小さくしますが、逆に白質を大きくするのです。ただしこの変化は高齢(平均74才)の健康な女性だけで観察されました(図2)。縦軸の数値は、白質容積/頭蓋内容積の対数なので、マイナスの値になっています。この結果を図1と合わせますと、コーヒーは灰白質を小さくして白質を大きくすると言えます。そして、この傾向は高齢の女性だけに見られる特性なのです。



●毎日コーヒーを飲んでいる若い女性では、海馬の容積が有意に大きい(詳しくは → こちら )。

 今度は若い女性の話です。19-30才の健康な女性で、コーヒーの1日杯数が異なる45名を被験者に選びました。次いでMRIで測定した脳画像を解析して、コーヒー杯数との関係を図に描きました(図3)。縦軸に示す海馬の大きさは脳全体の容積に占める割合を計算したものです。グラフ全体はU字型で、1日に2杯を飲む人で最低値、つまりコーヒーを1日に2杯飲んでいると、海馬の容積が約10%小さくなるのです。



 コーヒーを飲んで海馬が小さくなることが何を意味するかは解っていません。後述するように、コーヒーと認知機能の疫学研究によれば、若いうちからコーヒーを飲んでいる人の認知力は、飲まない人より高いとの論文が多いので、海馬の容積が小さいことは認知力が高いことを意味するかもしれません。しかし、今は未だデータが少な過ぎて確かな考察はできません。


●若いときからコーヒーを飲んでいる人では、松果体の容積が小さく、睡眠の質が下がる(詳しくは → こちら )。

 韓国の認知症縦断研究参加者について、喫煙歴指数(ブリンクマン指数)を真似た珈飲歴指数「1日のコーヒー杯数×コーヒーを飲んでいた年数=ALCC」を新たに定義して集計しました。その数値の大きさで被験者を3段階(L,M,H)に層別し、各段階の人数が54人になるように調整しました。観察研究では、こういう作為的な操作は結果を間違える傾向があるので、一般的には無作為に選別するのが原則です。それは兎も角、結果を図4に示します。



 この論文によれば、1日コーヒー杯数と松果体容積の間には有意な関係が認められず、そのため新たに年数を加味した珈飲歴指数(ALCC)を定義したということです。その上で、ALCCが睡眠の質の低下と関係することを、自己申告のアンケート調査で確認したというのです。脳の他の部分には変化がなかったとも書いてあります。興味ある論文ですが、更なる検証が必要でしょう。


●コーヒーを飲んでいる人では、加齢による認知障害が緩やかで、Aβ蓄積が少ない(詳しくは → こちら )。

 オーストラリア健康調査参加者の中から、認知機能が正常な227人を募集して、自己申告によるコーヒー1日量(溶液のg数:240gがほぼ1杯)と認知力テスト表を10年間追跡しました。この中の60人については、更にPETで測定したAβ量をコーヒー摂取量と比較しました(図5)。認知機能との関係については、摂取量の多い人で認知機能の低下速度が遅いことが確かめられています。



 ところで、コーヒー摂取と加齢性の認知障害(CI)またはアルツハイマー型認知症(AD)の疫学研究は世界各国で実施され、賛否両論があって、決着がついていません。図5の論文でも両疾患が混ざったまま解析されていると思われるので、コーヒーでAβが減ると言っても、それがADのリスク低下を意味しているとは限らないのです。市販のサプリメントでも、この点の区別は実に曖昧ですから、「ADに良い」と書いてあってもまともに受け取れない場合がほとんどです。

 Aβ-タンパク質はADに特徴的な老人斑の原因ですが、コーヒーがAβの蓄積を遅らせると言っても、ADの発症を遅らせるとは限りません。昨年末にTVでも話題になった日本産の新薬候補も、このタンパク質を減らすように開発されたものですが、有効性が認められないとの理由で承認には至りませんでした。


●コーヒーは加齢性認知障害(CI)のリスクを下げるが、ADについて有意差のあるデータはない(詳しくは → こちら )。

 この論文は、これまでで最も信頼できそうな「コーヒーと認知障害またはADの関係」をまとめたメタ解析論文です



 図6で明らかなように、年をとるとだんだん気になる記憶力低下では、物忘れなどの加齢性認知障害は、1日2杯程度のコーヒーを飲んでいる人でリスクが低い傾向があります。しかし、ADの場合には、コーヒーの影響は「ほぼない」という結果です。ではコーヒーの他に、何か良い食べ物はないでしょうか?


●単一の飲食物でADリスクを下げるものを探索したが、これはというものは見つからない(詳しくは → こちら )。

 ドイツ国内の国民健康調査の1つにAgeCoDe Studyがあります。これを活用して、75歳以上で認知力が正常な2622人を10年間追跡しました。その間にADを発症した人数は418人(15.9%)でした。調査対象に選んだ飲食物は、新鮮魚貝、オリーブオイル、果実、ポテトを除く野菜、加工肉、赤ワイン、白ワイン、緑茶、コーヒーの9種類で、定期的に「どれをどれだけ食べましたか?」のアンケート調査を実施しました。

 結果として、統計的に有意なデータが得られたのは、男性の赤ワインで、AD発症リスクのハザードリスク0.82(p≺0.001)が観察されました。逆に女性が赤ワインを飲んでいるとハザードリスクが1.15(p=0.044)に高まってしまいます。

 仮に、コーヒーやワインに期待が持てるとしても、単独では無理な話で、「地中海食や和食に合わせてコーヒーを飲む」と言った合わせ技に期待するほうが現実的です。日本では国立長寿研究センターが「和食+コーヒー」と認知障害の関係を調べて、コーヒーの有用性を論文に書きましたが、残念なことに、加齢型とAD型認知障害が混在したままの調査に終わっています(第461話を参照 → こちら )。


●まとめ

 コーヒーで脳の大きさが変わる!こんなこと考えたことありませんし、今後の「コーヒーの健康サイエンス」に影響することは間違いありません。今は分子レベルの変化までは解りませんが、脳の大きさを変えるかもしれない常在成分を1つだけ上げるとすれば、「スフィンゴ脂質?」。脂質は電気を通しませんから、びっしり詰まった兆個の神経細胞が正確なネットワークを組むための土壌になると思われます。筆者には、スフィンゴ脂質は神経細胞の畑の土とも思えるのです・・・当たるも当たらぬも八卦です!

(第467話 完)