シリーズ『くすりになったコーヒー』


 大衆薬の痛み止めにはカフェインが配合されています。小児用を除けばほぼ全ての商品に入っています。確かな理由は分かりませんが、17世紀のヨーロッパでコーヒーが普及し、1819年にはコーヒーからカフェイン発見、その後1900年にバイエル社のアスピリン製造特許が成立して、同社は現在のファイザー社のような存在になりました。

 カフェインとアスピリンの出合いは、アスピリン発売後間もなく実現しました。「コーヒーを飲んでいる人はアスピリンがよく効く」との観察データから、「アスピリン+カフェイン」合剤ができたのです。勿論筆者は、これはバイエル社の販売戦略だったろうと想像しています。しかし、カフェインを配合するとアスピリンの効き目が強まることが、臨床試験で確認されたのは今世紀になってからのことで、それまでの100年間は確かな証拠がないままにカフェインが配合されていたのです(詳しくは → こちら )。


●薬学部の講義では「風邪薬による眠気をとるためにカフェインが入っている」と教わった。

 多くの薬剤師さんがこういう講義を覚えていて、それは正しいと信じているはずです。しかしこの講義がフェイク講義であることは間違いありません。何故なら、眠気を誘う抗ヒスタミン薬が風邪薬に使われたのは、アスピリンにカフェインが配合されてから少なくとも50年が経過した前世紀の半ばのことなのです。ですから配合の本当の目的は、アスピリンの鎮痛効果を高めるためだったのです。大学教育とは相当いい加減で、何処かの大物教授が大きな声で言ったことを鵜呑みにした内容が沢山あるのです。そんなこんなで「大衆薬にカフェイン」は、もう何でもかんでもといった実状になっています(表1を参照)。



●世界中をよく見てみると、覚めている人が何処かにいる。

 今は、電子版で出版される論文誌を、早ければ数日以内に読める時代です。一方、フェイクニュースには刺激的なものが多く、更に早く広まります。それに比べると科学論文は難解なので、一般の人には全く伝わらない論文が山ほどあります。薬の記事は特に難しいので、今話題のRNAワクチンなどは、フェイクばかりが流される気配なのです。それでも真面目に分かり易く解説する総説論文は貴重です。カフェインの鎮痛作用についても、ようやくそういう論文が出てきました(詳しくは → こちら )。


 今から1ヶ月ほど前にカリフォルニア大が発表したこの総説論文には、カフェインの鎮痛作用の正確な役割が4つに分類して書いてあります。


①カフェイン自体がもつ鎮痛作用のメカニズム

 神経因性(神経の損傷による)、侵害受容性(神経以外の組織の損傷による)、および炎症性(免疫系の異常な亢進による)の痛みでは、アデノシン受容体A1およびA2Aの活性化が痛みとなって感じられます。このうち特にA2A受容体はカフェインによって阻害されるので、それが鎮痛作用となって現れるのです。A2Aの阻害が眠気覚ましになることはよく知られています。


②他の鎮痛薬の補助作用

 鎮痛薬(例えばアスピリン)とカフェインの併用で、カフェインが受容体A2A、A2Bの他にシクロオキシゲナーゼ(COX)阻害作用(アスピリンやロキソニンと同じ作用)を発現すると、鎮痛薬の作用がより強く表れます。これはカフェインのアジュバント効果と呼ばれるもので、市販の鎮痛薬や風邪薬にカフェインが配合される理由になっています。


③頭痛薬としてのカフェイン

 睡眠時頭痛と片頭痛にカフェインが奏功することがあります。就寝前にコーヒーを飲むのも有効なことがあるし、起きているときの片頭痛にも1杯のコーヒーが効くことがあります。ただし多くを飲むと逆効果になってしまいます。適量のカフェインの血管収縮作用が頭痛を和らげると考えられています。


④手術後の痛み緩和作用

 消化管手術後のコーヒーは蠕動運動の開始を早めるとの論文が複数あります。カフェインが術後の痛みを改善するメカニズムが、傷の直りを早めるからとも思われますが、詳細は不明です。術後の痛みの軽減にカフェインを併用して、アジュバント効果が表れるなら、鎮痛薬の量を減らせる可能性が出てきます。


●カフェインの抗炎症作用が鎮痛作用となって現れる。

 筆者らの研究で、カフェインとその他のコーヒー成分(ニコチン酸とピラジン酸)が、致死量の肝臓毒LPSを投与したラットを救命することが確認されました。この効果は、LPSによって高発現する炎症性サイトカインの抑制によって起こったものなので、以来コーヒーの抗炎症作用が注目されるようになりました(詳しくは → こちら )。そして、カフェインが痛みを伴う炎症を抑えることが解ってきたのです(詳しくは → こちら )。


●慢性炎症が万病の元/痛みも同じ。

 今では有識者の常識になっている「慢性炎症が万病の元」との概念は、実はまだ生まれたての考え方です。日常経験する痛み、心臓病、肝臓病、腎臓病、更には老化やアルツハイマー病までが、その背景に慢性炎症を抱えているのです。日常よくある痛みも炎症が原因で起こります。そしてその炎症の更なる元になっているのが免疫系の変調で、これが痛みの大元になっていると考えられています。新型コロナワクチンを打った後の痛み、自己免疫疾患である関節リウマチの痛みなどは、分かり易い免疫反応が原因の痛みです。


 ここで筆者が強く思うことは、「コーヒーと健康」の疫学研究で、コーヒーが慢性炎症を抑制することが基となって、結果として寿命が延びるという信じ難いデータに繋がる訳は、一体どこに原動力があるのか見つけたいとの願いです。可能性の高い答えは、獲得免疫(自然免疫ではない)の中心に居座っているTリンパ球にあると思っていた所、2019年になって、インド工科大学の研究グループがとんでもない論文を発表したのです。その論文の表題は「カフェインで抗腫瘍免疫反応が強まる理由は、細胞傷害性Tリンパ球表面にあるPD-1受容体が減るからである」というものでした(詳しくは →  こちら )。


 さらにこの研究グループは、「カフェインは抗PD-1モノクローナル抗体の抗腫瘍効果を強める」という論文を発表しました(詳しくは →  こちら )。この抗PD-1モノクローナル抗体とは、2018年にノーベル賞を受賞した本庶佑博士が、小野薬品㈱と共同開発した抗腫瘍薬オプジーボのことです。つまりカフェインは、抗PD-1モノクローナル抗体(オプジーボ)がない場合にもある程度の抗腫瘍活性を示しますが、抗PD-1モノクローナル抗体(オプジーボ)でPD-1受容体をマスクしておけば、カフェインの抗腫瘍活性が更に強くなるということです。オプジーボのメカニズムの動画が同社のHPに公開されていますが、これにはカフェインの話は出てきません(詳しくは → こちら )。



 さて、これら2つの論文を合わせると、「カフェインはTリンパ球のPD-1受容体を減らすが、残ったPD-1受容体ががん細胞の標的になる。そこでその残りをオプジーボでマスクすれば、がん細胞が生き残ることはほぼ不可能になる」ということです。


●PD-1抑制と痛みの関係

 PD-1受容体はTリンパ球以外にも発現しています。ここでは痛みを感じる神経系でのPD-1に注目します。そのPD-1受容体にがん細胞が作るPD-L1が結合すると痛みが消えるという最初の論文を紹介します(詳しくは → こちら )。論文の表題は「PD-L1がPD-1に結合すると急性および慢性の痛みが抑制される」というもので、皮膚がんメラノーマのモデルマウスを使っての実験です(図3を参照)。



 次に、大阪大学歯学部の米田俊之(招へい教員)が書いた総説論文の表題は「痛覚神経に見るがん骨転移の悪循環」です(詳しくは → こちら )。本来がん細胞の表面にあるPD-L1が、何らかの理由で細胞から離れて体液中に溶け出すことがあります。これを可溶性sPD-L1と呼んでいます。そしてこのsPD-L1が、前破骨細胞のPD-1に結合することによって、骨破壊と骨の痛みが強まります。そこで再度登場するのがオプジーボで、これを使うと骨転移の抑制と同時に、痛みが消えるというのです。研究は始まったばかりです。

 

 もう1つの例を紹介します。この論文は中国湖南省にある中南大学での研究で、表題は「妊娠中のPD-L1/PD-1経路は炎症性サイトカインを調節して痛みの閾値を高める」というものです(詳しくは → こちら )。妊娠した女性は痛みを感じにくくなるということです。

 以前から麻酔医の間では、妊娠女性の痛み閾値は高く、非妊娠時より痛みに鈍感になっていることが知られていて、かつ興味を持たれていました。この中国発の論文は、その科学的根拠が妊娠後期に顕著になるPD-L1の高値(図4を参照)と、増えたPD-L1がPD-1を抑制する結果であると述べています。この生理的変化は、分娩時の痛みに耐えるための進化の結果と考えられますが、将来的に、この生理学経路に介入できる薬物が見つかれば、帝王切開に替わる無痛分娩が実現するかも知れません。



●「コーヒーのカフェインがsPD-L1を増やして痛みを和らげる(仮説)」を実験で証明する研究者を募集!

 GBMDはインドに本部を置いて生物医薬開発の調査/教育活動を支援している会社です。代表者のDr. Boomiは、図3の論文(詳しくは → こちら )に注目しました。そして直ぐに図5のような仮説を提示したのです(詳しくは → こちら )。Dr. Boomiは、この仮説を実験で証明する研究者の募集を行いました(その後の経緯は不明)。もしこのカフェインの鎮痛効果が実証されれば、鎮痛作用の新たなメカニズムとして「PD-L1/PD-1経路による鎮痛作用を最初に実現したのはカフェイン」ということになるのです。しかし筆者が更に思うことは、コーヒーにはカフェイン以外の可能性も多々あるということです。例えば、痛みの中でも特に酷い痛みは痛風発作で、昔オックスフォード大学の病理医だったウイリアム・ハーベーは、持病のその痛みをコーヒーで抑えていたと日記に書いているのです。つまり、カフェインが効かなくても、図5のコーヒーは効くのかも知れません。今後の研究に期待が掛かります。



【追記】ごく最近になって、腫瘍細胞表面のPD-L1から、細胞外ドメイン部分が切断されて溶け出して、血中に放出される可溶性PD-L1(soluble PD-L1またはsPD-L1)が注目されています。sPD-L1はPD-1をもった細胞傷害性T細胞(CD8T細胞で、がん細胞を攻撃して死滅させる)の免疫反応性を弱めると考えられています。血中sPD-L1は、びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫(DLBCL)、非小細胞肺がん、胃腺腫がんなどで、発現量が高い症例では予後不良となる研究結果が発表されています。

 また、多発性骨髄腫(MM)のsPD-L1は一般に健常対照群より高値傾向であり、その発現量は奏効率に相関するため、MMのバイオマーカーとなる可能性が高いと発表されています。 さらに、慢性C型肝炎患者で高値傾向にあり、肝細胞がんへ進展すると更なる上昇が認められるという報告や、全身性強皮症において皮膚硬化症の重症度と相関することも指摘されています。

 最後に、抗がん薬治療のアジュバントとしてのカフェイン、鎮痛薬としてのカフェイン/コーヒーの研究は、PD-L1/PD-1経路に沿って新たな展開を見せてくれるでしょう。

(第476話 完)