筆者がコーヒーと健康の研究を始めた切っ掛けは、今世紀の初頭、オランダに居たファン・ダム教授(現・ハーバード大)が書いた、「コーヒーを飲んでいる人は2型糖尿病になり難い」という論文を、ランセット誌で読んだからです。そして本気でコーヒーの研究をやる気になったのは、直後に行ったマウスの実験が驚異的なデータを出してくれたからです。


【実験1】体内でインスリンを作っている膵β細胞を破壊する毒(ストレプトゾトシン)を投与するマウスに、あらかじめカフェインを与えておくと、2日経ってもβ細胞は正常に働いていた(詳しくは → こちら)。

【実験2】肝細胞を破壊するリポ多糖(LPS)を投与するマウスに、あらかじめカフェインを与えておくと、24時間以内の死亡率が0%になった。カフェイン無投与のマウスは全例が死亡した(詳しくは → こちら)。


 この2つのデータを見て、筆者は「コーヒー博士」になることを決意して、前世紀からの「コーヒーと健康」に係わる疫学研究論文の中身をまとめて「コーヒー一杯の薬理学」(医薬経済社)を出版したのです。その後の疫学研究もしばらくは「健康な人がコーヒーを飲んでいるとどうなるか」という視点で研究されていました。ところが、「コーヒーを飲んでいると三大死因病による死亡リスクが下がる」という驚きのデータが、世界各国からほぼ同じ内容で発表されたのです。病気で死ななくなる分だけ寿命も延びるというのです。そして疫学研究の方向は、「患者がコーヒーを飲んでいるとどうなるか?」に変わってきました。


●肝臓病になってもコーヒーを飲んでいると病気の進行が遅くなる。

 2006年、アメリカ合衆国の三大健康保険機構の一つカイザーパーマネンテ健康維持機構が「毎日コーヒーを飲んでいる人は、アルコール性肝炎になりにくい」との論文を発表しました(詳しくは → こちら)。この論文は、筆者らのマウスとカフェインの実験と同じように、世界のあちこちで「コーヒーとカフェインと肝臓毒の関係」を動物実験で証明する切っ掛けを作ったのです。さらに、アルコール性肝炎になっても、毎日コーヒーを飲んでいれば肝臓癌になりにくいことも解ってきました(詳しくは → こちら)。

 その後の論文を読んでみると、コーヒーが肝炎を予防することは間違いないと言えます。コーヒーは、アルコール性肝炎だけでなく、アルコールを飲まない人の非アルコール性肝炎(例えば、薬剤性肝炎)も予防するようです。さらに、肝炎が肝臓癌に変化してゆく段階でも、コーヒーの予防効果が見られます。最もはっきりしているのは、ウイルス性肝炎の場合で、コーヒーでウイルス感染を防ぐことはできませんが、たとえウイルスに感染しても肝臓癌にはなり難くなるのです。これについては今年1月に書いた第493話を参照して下さい(詳しくは → こちら)。

 このように、コーヒーはアルコールが原因の肝炎や肝臓癌を予防するので、アルコールに代わって「百薬の長」の座に着きそうな気配です。でもその前にはっきりさせておくべきことがあります。


●コーヒーの何が肝炎や肝臓癌を予防しているのか?

 コーヒーは肝臓病の予防薬と言ってもよいくらいに肝臓を保護する飲み物です。アルコール性肝炎、非アルコール性脂肪肝(NASH)、肝硬変、肝癌・・・これらすべての肝臓病を予防する特効薬です。ドラッグストアではウコンが最強の肝臓保護薬となってますが、そんなことはありません。ウコンの連用と過剰摂取は肝障害のリスクを高めます(詳しくは → こちら)。しかし、コーヒーにはそんな副作用はありません。

 とは言え、肝臓病患者の複雑な肝機能の一体どこにどんな関与成分が作用しているのか、2017年になってようやく総説論文が発表されました。それによると、コーヒーは、肝細胞の転写因子、酵素、受容体等に広く作用して、多様な薬理作用を発現し、それらが最後に収束して肝硬変と肝臓癌の予防につながるのです(詳しくは → こちら)。



 図1は実によく描かれていて、コーヒーの薬理作用点が一目でわかります。上から順に、抗酸化性の転写因子Nrf2、細胞分化と代謝制御に関わる転写因子PPARγ、エネルギー代謝を亢進する酵素AMPK、脂質代謝を制御する転写因子SREBP1c、アデノシン受容体の1種A2A、これらのすべてが重要な役割を果たしています。

 論文要旨に書いてあるコーヒーと検査値の関係など、簡潔にまとめられているので、そのまま日本語にして引用します。


【論文要旨の一部抜粋】肝臓病患者とコーヒーの関連について、ウイルス性肝炎、非アルコール性脂肪肝(NAFLD)、肝硬変、および肝臓癌患者の肝臓検査値とコーヒーの関係を、過去の論文に遡って系統的にまとめました。肝臓病患者のコーヒー摂取は、用量依存的に血清γGPT、AST、ALT値の改善と関連していました。また、コーヒー摂取は慢性肝炎患者の肝硬変への進行を遅らせますし、肝硬変患者の肝臓癌への進行も遅らせて、肝臓癌の発症率低下に繋がります。慢性C型肝炎患者では、コーヒーは抗ウイルス療法の効き目を強めることも解っています。これらを総合すると、慢性肝臓病の患者には、毎日のコーヒー摂取を奨励する必要があります。


 このように、コーヒーを飲んでいる人の肝臓では、図1の5つのメカニズムが肝臓の検査値を改善する方向で働きます。そして5つのルートが最後に線維化と発癌の予防に集約されていることに注目してください。これを言い換えれば、5つのメカニズムが相乗的に作用する結果としての肝臓癌の予防ですから、コーヒー以上に確かな効き目を医薬品に求めることは不可能とも言えるのです。


●1日に2-3杯のコーヒーを飲んでいれば、肝臓病が悪化して最後に癌になるリスクが半減する(論文多数)。

 健康な人はもとより、何らかの肝臓の病気を抱えている人にとって、コーヒーは救世主と呼べる飲み物です。更には、運悪く癌になった人も、コーヒーを毎日飲むことで、癌の増殖、転移、抗癌薬耐性化などのリスクが下がることを期待できるようにもなるのです。そして2019年には、末期肝不全患者が肝移植を行った場合、コーヒーを飲んでいると死亡率が格段に下がるという論文が発表されました(詳しくは → こちら)。


●肝細胞癌で肝移植を受けた患者が毎日コーヒーを飲んでいると移植肝が保護される。

 手術の傷が早く治るとかの次元を超えて、癌が再発したり移植肝の働きが弱まって命を失うことが減るのです。これは正に想定外の効き目です。研究したのはドイツと米国の9病院の共同チームで、調査症例数は90、全例が肝臓癌、そのうち16症例(17.8%)が約1年後に癌を再発しましたが、最長12年の死亡例を多変量解析したところ、術前・術後のコーヒー摂取が死亡率と関係していることがわかったのです。数値を見ると、術後1日3杯以上のコーヒー摂取で、死亡リスクのハザード比HRが、コーヒーを飲まない群の1.00に比べて0.29という驚くべき低値を示していたのです(図2)。



 この2枚の図は、左が手術前のコーヒー、右は手術後のコーヒーの1日杯数と生存率の関係です。コーヒーを飲まない人のグラフは赤色で、1日3杯以上は黄色です。右図によれば、術後に毎日飲むコーヒーが、生存率を飛躍的に高めていることが見て取れます。コーヒーが手術の予後に及ぼす効果をこれほど明確な有意差で観察した論文は初めてで、にわかには信じられないほどのデータです。


●日本の肝臓移植の実績

 コーヒーと肝移植の日本人データはありませんが、日本移植学会の取りまとめで、下表に示す術後生存率が発表されています。ドイツのデータよりやや優れた数値ですが、まだまだ改善の余地がありそうです。ですから、術後には積極的にコーヒーを飲むなど生活習慣を変えることも大いに有望な方法ではないでしょうか。1日数杯の、または1杯でも、コーヒーを飲むという簡単な日常生活の工夫で、授かった寿命を長くできるという、夢のような話を真面目に考える切っ掛けになって欲しいと思います。



●最後にもう1度「肝臓病になったらコーヒーを飲みましょう」。

(第510話 完)