腸内菌と食物繊維の話題が増えています。しかしそれが健康に良いという確かなメカニズムは解っていません。コーヒーにも独自の繊維質が含まれていますが、健康効果については不明です。最も詳しく研究されているのは、ヒトが利用できない食物繊維を腸内菌が消化して短鎖脂肪酸(酢酸、プロピオン酸、酪酸)を作るという現象です。なかでも酪酸は腸上皮細胞にある受容体GPR109Aを刺激して、腸の炎症反応を抑制しますし、更には脳、心臓、その他の多くの臓器の病気を予防するということで、第2の脳とも呼ばれる人気の研究分野になっています。


●GPR109AはビタミンB3のナイアシン(ニコチン酸)の受容体でもある。

 GPR109Aは今世紀の始めにニコチン酸受容体として発見されました。丁度同じ頃、これと同じタンパク質が酪酸受容体であることが解って、GPR109Aという名称に統一されたのです。GPR109Aは全身に分布していますが、腸の受容体の役割は、「腸内菌が作る酪酸と食事由来のニコチン酸によって活性化し、結腸の炎症と発癌を抑制する(図1を参照)」ということです(詳しくは → こちら)。



●酪酸を作るのは酪酸菌(数種類の総称)ですが、ナイアシン(ニコチン酸NA)を作る腸内菌は不明となっている。

 2019年にイスラエルのワイズマン研究所が発表した論文に、難病ALSのモデル動物実験が載っています。血液成分を分析したところ、ナイアシンアミド(ニコチン酸アミドNAM)の欠乏が確認されました。そこで、腸でNAMを産生する腸内菌Akkermansia muciniphilaをモデルマウスに投与したところ、症状が改善したという驚きの結果でした(詳しくは → こちら)。

 この実験では、A.muciniphilaが腸内でNAMを作ってALSを改善したのですが、NAMはGPR109Aのアゴニストではありません。論文には「モデル動物に酪酸を投与するとALSが部分的に改善した」との文献引用がありますが、詳しい考察は書いてありません。もしNAを産生する腸内菌があれば、ALS治療に更なる効果が見られるはずです。

 筆者は以前から、過去の論文に遡ってデータベース化が進んでいるPubMedを毎日検索しています。恐らくビタミンが発見された100年ほど前の学術誌には、コーヒーにも入っているNAを作る繊維質または腸内菌の論文があると確信していたからです。地味な努力が認められるとはこのことで、つい最近になって1940年代まで遡ることが出来ました。そして筆者が生まれた翌年の1942年に書かれた米国イエール大学の論文を読むことが出来たのです。それによりますと、


●腸内菌Bacteroides vulgatusがニコチン酸を産生する(詳しくは → こちら)。



 表1のBacteroides vulgatusに注目して下さい。この腸内菌を嫌気性の培地で培養すると、菌体内と培地中に最大値のニコチン酸ができていたのです。更にニコチン酸以外にもビオチン、リボフラビン、チアミンなどのB群のビタミンもできることが解りました。では、B.vulgatusその他の腸内菌は何を原料にしてニコチン酸を作るのでしょうか?それが解るまでに、更に15年を要しました。


●セルロースを食べたヒトの尿と糞に、NAとその他のVB群が増えていた。

 腸内菌がVB群を作る原料、特にNAを作る原料を、初めて明らかにしたのは、京都府立医大の藤田秋治教授とお弟子さんの二人でした。今でこそ色々な繊維質の純品が手に入りますが、戦後間もない日本の研究者にとっては難しいことでした。それでも手軽に手に入った繊維質が1つだけありました。セルロースです。勿論、医学部の藤田教授らの研究室にも常備されていて、何時でも使うことができたはずです。藤田教授らがセルロースで実験したのは、そんな時代背景だったからだと思います。ではVBsの番号順に詳しく紹介しましょう。


●VB1のチアミンはセルロースを食べた腸内菌の代謝産物だった(詳しくは → こちら)。

 この実験の被験者は1名で26歳の男性でした。筆者が思うに、この男性は共同研究者の長瀬晴彦さんに違いありません。自分の身体で自分で実験して自分で論文発表する・・・筆者自身もそういう経験をしているので、間違いないと思います。長瀬と藤田が論文に描いた図に若干の手を加えて引用します(図2)。

 実験の全コースは2ヶ月になりました。まず最初の2週間程度は、普通の食事をしながら、毎日採尿と採糞を続けました。今のように冷凍保存は出来ないので、朝に集めたサンプルをその日のうちに分析したのです。そして次の1週間を肉食で過ごした後、肉食にろ紙を湯でほぐしたセルロースを2%重量になるように混ぜて1週間過ごし、それから肉食に戻して、更に普通食に戻したのです。やれやれこれで終わりかと思いきや、更に実験が続きます。肉食を採食に変えて10日間、そして最後にセルロースを混ぜて頑張ったのです。来る日も来る日も分析を続けた2ヶ月間は、想像するだけで「お疲れ様」と言わねばならない実験だったことでしょう。



 図1の赤色の部分をご覧ください。左が「肉食+セルロース」、右が「菜食+セルロース」です。チアミンの量は左寄り右、つまり肉食より菜食の方が多くなっています。その理由としては、野菜は元々セルロースを含んでいて、ろ紙を加えたことで、食べたセルロースの量が増えて、その分だけチアミンも増えたということでしょう。B1産生量とは、体内(腸管内)で腸内菌が作ったチアミンの量のことで、尿と糞に含まれていた総量から、食事で摂った量を差し引いて求めた数値です。腸内菌が野菜のセルロースから作る量が食べた量を上回っていることが解ります。


●VB2のリボフラビンもセルロースを食べた腸内菌の代謝産物だった(詳しくは → こちら)。

 この実験の結果を図3に示します。実験は菜食のみで行って、期間も短いものでした。被験者の体力によったのかも知れませんが、チアミンのときのような実験は難しいとの判断だったのでしょう。今でいう「アカハラ」にならないように実験計画を立てた教授の判断だったのかも知れません。しかし、それにも関わらず、結果は明確で、被験者が普段食べている食事を菜食に変えただけでVB2の量が増えているのです。そして更にろ紙を加えると、更に増えることが解りました。

 さてここで、現在の大学の研究室で学生たちに聞いてみれば、「どうして1回の実験でチアミンとリボフラビンを同時に測定しないのか?」と不思議に思うことでしょう。しかし当時としては、そんなことはとても無理な話なのです。1つの成分を測定するだけでも、想像以上に疲れ果てたに違いないのです。そう思う根拠は、図1と図2の横軸の日付を見れば分かります。筆者が高校生の頃と、今の高校生の理科実験室では、設備や機器の種類に天と地ほどの違いがあって、その日のうちに分析実験を終えるためには寝る時間も削っていたに違いないのです。



●VB3のニコチン酸もセルロースを食べた腸内菌の代謝産物だった(詳しくは → こちら)。

 VB3(ナイアシン)のうちNAMを含まずNAだけを含む食べものはほどんどありません。その中で日常毎日飲むことができるコーヒーは貴重品です。まだ議論の余地は残っているかも知れませんが、NAMはサーチュイン1(長寿遺伝子の産物)の働きを阻害するからです(詳しくは → こちら)。第一三共のノイビタZEが販売中止になった今、NAを自分の体の中で作れるというこの論文の内容に、筆者は100%感動しました。セルロースなら薬より安く手に入りますし、食べ物としても沢山あります。ですからこの論文は筆者にとって「してやったり」の中身なのです。



 「セルロースがNAのブースターになる!」。そしてできたNAが「NADの体内ブースターになる」・・・ということになるはずです。それが実現すれば、年を取ってNADが減っても、セルロースを補給すれば老化速度を遅くすることができるかも知れません。そうなると現在のビタミン学が様変わりすることでしょう。

 では図4の説明です。この実験も男性1名のデータですが、肉食にろ紙を加えて食べることで、尿中及び糞中のNAが増加しています。そして、食事を元に戻すとNAも元の数値に戻るので、セルロースの効果が確実に現れています。しかしこのことだけで、表1のどの腸内菌が働いたのかは分からないし、どれでもないかも知れません。腸内菌の種類はとてつもなく多数だからです。


●VB6のピリドキシンもセルロースを食べた腸内菌の代謝産物だった(詳しくは → こちら)。

 この場合にも野菜を食べると肉食より多いVB6ができることが解ります。野菜に多く含まれるセルロースの効き目であることは間違いありません(図5)。



●葉酸もセルロース食で増える(詳しくは → こちら)。



 図6でもセルロースが原料になって葉酸が出来ていることが解ります。この図には、毎日の尿と糞の量も描かれているのですが、煩雑に過ぎるので尺度は省略しました。それでは最後に、


●パントテン酸もセルロース食で増える(詳しくは → こちら)。


 最後はパントテン酸の実験です。やはりセルロースの大きな影響が観察されて、パントテン酸の産生量が増加しました。肉食と菜食を比べると、菜食にセルロースを加えたときの効き目が強いことも、他のVBsと同じでした(図7)。藤田教授らの実験はこれで終わりですが、得られた結果を総合すると、「セルロースは総合ビタミンB剤」と呼ぶに相応しい食物繊維であると言えるでしょう。

 ではここで、図1に示したように、ナイアシン(ニコチン酸NA)と同じ受容体GPR109Aを共有する酪酸について、コーヒーとの関係を紹介します。


●コーヒーを飲むとGPR109Aのアゴニストである酪酸が増える(詳しくは → こちら)。



 コーヒーにはNAが含まれていますが、酪酸は含まれていません。しかし、そのコーヒーを飲むと血液中に酪酸が増えることが、糖尿病マウスの実験で証明されました。実験したのは日本の研究者で、2018年の発表です。結果を図に示します(図8)。この実験では、標準体重のマウスと、それを高脂肪食で飼育して太らせた糖尿病マウスを使いました。

 更に肥満マウスを、コーヒーそのものを飲ませたグループと、カフェインまたはクロロゲン酸を飲ませたグループに分けて、それぞれの血漿を採取して、酪酸の量を調べました。するとコーヒーにも、コーヒーの成分にも酪酸を増やす効果がありましたが、クロロゲン酸が最も強い効果を示したのです。この結果はクロロゲン酸が糖尿病を予防するという実験データとよく一致しています。

 しかし、ここでもう1つ問題があります。酪酸は大腸で出来ますが、飲んだコーヒーのニコチン酸NAは小腸で吸収されてしまうので、大腸には届きません。もしこの問題を回避できれば、大腸の中で酪酸とニコチン酸の共同作業が成立するはずです。共同作業とは、酪酸だけがGPR109Aを占有すると、その毒性のために抗炎症作用が消えてしまいます。しかしそこにNAが加わると、受容体の競合が起こって、酪酸の毒性が消えて、抗炎症作用が発現するのです。

 問題を回避できることを示唆する面白い論文が発表されました。マウスではなくヒトの実験で観察された現象で、「NADの腸-体循環Entero-Systemic Circulation」と名づけられました(詳しくは → こちら)。図9をご覧ください。



 この図が意味しているのは、「ビタミンB3(NAとNAM)は全身の臓器と腸管腔を行き来しながら、ヒトと腸内菌の間で互いにNAD生合成を活性化している」ということです。この論文の著者、ペンシルベニア大医学部のジョセフ・バウエル教授は、この現象に「NADの腸-体循環」と名づけたのです。

 もしこの腸-体循環が円滑に回転するなら、食事からは摂り難いNAでも、腸内菌が補充してくれることになります。しかし実際には、そうは問屋が卸さないこともあるはずです。それは循環に必要な腸内菌が十分に居るとは限らないということです。その不足分をセルロースで補うことができるなら、VB群の不足によって発症する疾患の、またとない予防法になるに違いありません。


●これからの研究のあり方

 「腸内菌を活性化してビタミンを作る」具体的な実験は、今回紹介したVBs以外にはありません。しかし、VAについても可能性があるとの論文が出始めました。もっと具体的には、野菜に豊富なカロテノイドを、活性型であるレチノールに変換する工程を腸内菌に代行させるというアイディアです(詳しくは → こちら)。

 以上、食糧不足が目に見えている温暖化気候の下で、人類の健康に寄与できる腸内菌であることを、80年前の埋もれた論文を読んで強く感じた次第です。

(第516話 完)