シリーズ『くすりになったコーヒー』


 有名女性が乳癌に罹ると、メディアを通じて直ぐに噂が広がります。癌のことを「クレブス(蟹の形をした腫物という意味です)」と呼んだ時代があったほど、乳癌という医学用語はよく知られています。生死に係わる余命宣告に誰もが注目したからでしょう。


そういう乳癌患者がコーヒーを飲むと、病状はどう変化するでしょうか?乳癌に「抗酸化薬の癌増悪説(第280話を参照)」は成り立つのでしょうか?それともコーヒーは安全な飲み物なのでしょうか?


●スエーデン、ルンド大学(創立1666年)の女性医師E.エルンストレムは、女性ホルモンの研究者だったが、やがて「コーヒーと乳癌」に興味を持った。


 女性ホルモンの1種エストロゲンの代謝(または分解)が早ければ、エストロゲンの血中濃度は低くなります。種々調べてみたところ、代謝産物である2-水酸化エストロンと16α-水酸化エストロンの濃度比(2OH/16αOH)が大きいほど、乳癌リスクが低いことが解ったのです。何故でしょうか?


●コーヒー成分もエストロゲンも同じ薬物代謝酵素CYP1A2で分解するのだが、この酵素が変異した人では2OH/16αOHが高値となる(詳しくは → こちら)。


 注目したい点は、2OHと16αOHが示す、エストロゲン受容体との親和性です。2OHが受容体を阻害するのに対して、16αOHはエストロゲンと同様に乳癌細胞の増殖を刺激するのです。その結果、酵素変異群の人は発癌し難くなり、かつ発癌しても受容体ネガティブ(ER-)が多い傾向でした。


 エルンストレム博士の次なる論文は、抗癌薬タモキシフェン(エストロゲン受容体に結合して、エストロゲンの癌細胞増殖作用を遮断する薬物)で治療中の乳癌患者とコーヒーの関係でした。コーヒーが受容体を介して薬効に関係している・・・との閃きで研究したのです。


●コーヒーを多く飲む群には、ER-の患者が多く、ER+とPgR-(プロゲステロン受容体陰性)は少なく、ER+であってもコーヒーを多く飲む患者は、タモキシフェンがよく効いていた(詳しくは → こちら)。


 更なる研究でメカニズムを探究し、カフェインとカフェ酸が有効であること、その有効性はER+かER-かの差に依らないこと、コーヒーの効き目はタモキシフェン感受性に反映されること、分子機序としては癌細胞のセルサイクルを破壊して死滅させる・・・などが解ってきました(詳しくは → こちら)。


●以上をまとめると、「コーヒーを飲んでいる乳癌患者群では、飲まない患者群に比べてタモキシフェンの有効率が高い」。


 カフェインにはしばしば併用薬の効果を高める「アド・オン効果」が観察されますが、タモキシフェンもそういう薬の1つなのかも知れません。


 さて、乳癌患者のコーヒーについて、もう1つ論文があります。しかし、嬉しい内容ではありません。乳癌患者がコーヒーを飲んでいると、1杯増えるごとに死亡率が高まるというのです(詳しくは → こちら)。




 しかし、図1には不明な点が多くあります。見逃せないのは「コーヒーを飲まない比較対照群」がないこと。これは統計研究としてはいい加減なやり方です。そのため「少ない患者数でたまたま見られた現象ではないのか?」との疑問が残ってしまいます。それでもデータが正しいとするならば、「抗酸化薬の癌増悪説」が当たっている可能性があります。それを証明するには、この論文が書かれた頃にはなかった知識、「転写因子Nrf2を測定すること」が必要です。その後の論文を検索してみました。


●乳癌患者の癌細胞にはNrf2が「増えている」と「減っている」の両論がある。


「増えている」と書いた論文の方が多いのですが、最新の論文には「減っている」もあります。同一患者で、がん組織と正常組織のNrf2を比較したという論文もあって、そこには「癌組織の方が少なかった」と書いてあります(詳しくは → こちら )。つまり、抗酸化薬の癌増悪説が不成立の可能性が残っています。


 以上、乳癌とNrf2の関係では、中途半端な解説しか出来ませんでしたが、それでも研究は確実に進んでいますから、そう遠くないうちに、確かな情報が出てくることを期待しましょう。
●現段階での一応の結論は、乳癌になったら、コーヒーは1日1杯程度にしておくのがよさそうだ。


(第298話 完)


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