前回10月15日号では、米国政府が実施したインフレ抑制法(IRA)に基づく、メディケア&メディケイドサービス庁と製薬企業との薬価直接交渉の結果()と、ここに至るまでの過程、患者メリットについて紹介した。今回は製薬企業の新薬開発戦略、ブランド品の薬価引き下げによる後発品への影響について触れたい。



開発標的はシフトするか


 まずは、製薬業界全体のビジネスモデルに変化をもたらすのか否である。


 米国医薬品市場におけるブランド品の売上高の約15%を米国のメディケア(パートB、パートDなど)が占めている。これまで製薬企業が値上げを好き放題できた米国の自由薬価制度のもと、製薬企業は研究開発費を賄うほか、バイオベンチャーなどの買収に費やし企業規模を拡大してきた。


 そうしたなかで26年1月から適用する10製品の最大公正価格(MFP)は確かにごく一部だが、27年と28年は15製品、29年は20製品を上限に対象を拡大する。さらに、IRAには、都市部一般消費者物価指数(CPI-U)に基づくインフレ率を超えて薬価を引き上げた製薬企業に対し、メディケアにリベートの支払いを義務付ける「インフレ・リベート制」がある。メディケアはこのリベートをメディケアの運営に割り当てる。この仕組みはメディケイド(低所得者向け医療扶助事業)ですでに導入されている。


 まず、自由薬価制度を謳歌してきた製薬企業が岐路に立たされていることは間違いない。


 違憲訴訟も提起している製薬企業のスタンスは、IRAの存在そのものが収益の低下や研究開発戦略にマイナスでしかないというものだ。製薬企業は収益の低下が、革新的医薬品開発の投資減少につながり、とくに、希少で複雑な疾患に対する治療法を模索する経済的インセンティブが、IRAが続く限り失われていくとの主張を続けている。


 一方で、IRAが製薬業界全体をより高い効率性と革新に導くという意見もある。米国政府が薬価をコントロールすることにより、製薬企業が革新的な医薬品の開発に注力していくという、逆説的な見方である。


 前回も触れたが、IRAの薬価交渉の対象外となる医薬品は、後発品とバイオシミラーが存在する(2年以内に販売予定のものを含む)、米国食品医薬品局(FDA)の承認から7年未満の低分子医薬品と11年未満のバイオ医薬品、希少疾病用医薬品、小規模バイオテック、21年のメディケアパートDでの支出額が2億ドル以下、とされている。要するに製薬企業の収益の柱となる新薬を除外したことによって、製薬企業の開発意欲を削がない措置を講じているという見立てだ。


 この見解を支持すれば、製薬業界にとってIRAの存在は決してマイナスばかりではないことになる。製薬企業は確かに、ビジネスモデルの再考とポートフォリオの見直しを強いられるが、結果的にイノベーションに通ずる治療領域を優先し、とくに希少疾病用医薬品を薬価交渉から除外しているため、アンメットメディカルニーズ分野の研究開発の投資は加速するという考え方である。


 これにより、個々の患者に合わせて調整された治療法が生み出され、医療システムに高い価値をもたらし、プレミアムコストを正当化できるパーソナライズ医療が増える。リアルワールド・エビデンスとデジタルヘルス・テクノロジーも積極的に採用されるという、かなり前向きな将来像だ。ただし、これまでのような臨床試験で開発してきた低分子薬は大幅に減少するかもしれない。


 また、ブランド品を有する製薬企業が特許期間を延長して高価格を維持する「エバーグリーニング戦略」も見直されるだろう。後発品とバイオシミラーの存在そのものが、薬価交渉の対象外となるため、露骨にこの戦略を採用する製薬企業が減少する。そもそも、この戦略自体が患者側からすれば、アクセスを阻害する極めて悪名高いものであるため、製薬企業もできれば避けたいはずだ。


 承認から7年未満の低分子医薬品と11年未満のバイオ医薬品は薬価交渉の対象外となり、ここは自由価格制度が保証される。後発品とバイオシミラーが2年以内に販売されるとわかっていれば、ここも対象外となる。これまでのように特許期間延長戦略で後発品やバイオシミラーを阻止するか、後発品とバイオシミラーの参入で薬価交渉から除外される道を選ぶか、今後明らかになってこよう。