切り取られた官僚の発言


 発言の主は、厚生省の梅本純正保険局長だ。前述の1969年の参院予算委で、戦前の分娩給付を説明する際に「当初からの考え方といたしまして、正常分べんは疾病ではないという態度をとってきております」という言葉が使われたのだ。ただし、梅本局長は同委員会で、政府の方針に沿って正常分娩も「異常分べんと同じように、現物化の方向で検討してまいりたい」と発言しており、正常分娩に現物給付してはならないという意味合いで使ったわけでなない。だが、「正常分べんは疾病ではない」という言葉が切り取られ、現金給付を正当化する理由として使われるようになってしまったのだ。


 だが、これまでの連載でたどってきたように、1927(昭和2)年の健康保険法の施行当初から、分娩は「予見し得べからざる事故」として、病気やケガと同様に保険給付の対象だった。給付方法は、現金給付の「分娩費」を原則としつつも、各組合の判断で現物給付の「助産の手当」を行うことも認めていた。現金給付が採用された理由は、「分娩は傷病と異り、事故の発生が明白であるから、詐病を構へる弊害の無いこと」「産院、其の他助産の手当をする設備を今直に全国に完備することが困難であること」だ(東京帝国大学経済学部教授の森荘三郎『健康保険法解説』)。「正常分娩が疾病ではないから」という理由はあげられていない。その後、産婆組合の全国組織化を受け、法律の解釈変更を行うことで正常分娩も「助産の手当」が原則とされ、1932(昭和7)年からの10年間は現物給付が全国的に利用されていた。


 1942(昭和17)年の法改正で現金給付の「分娩費」に一本化されたのは、戦争遂行のための国の人口増加策を後押しする報償的な役割を担っていたことが推察される。1970年代の現物給付化の断念も、政治的な駆け引きで見送られたもので、公的医療保険の給付方法としての現金給付に正当な理由は見当たらないのだ。それなのに国会審議のなかで使われた「正常分べんは疾病ではない」という言葉を錦の御旗に、ほぼ99%が施設分娩となったあとも、現金給付は続けられてきた。


 1994(平成6)年になると、「分娩費」と「育児手当金」を包括した「出産育児一時金」が創設され、1件あたりの給付額は30万円となった。その後、分娩費用の上昇に合わせて給付額が見直され、2023(令和5)年4月からは1件あたり50万円となっている。だが、この間ずっと、給付額が上がると分娩費用も引き上げられるという鼬ごっこが繰り返されてきた。負担軽減策としてつくられた「受取代理制度」「直接支払制度」なども根本的な解決にはならず、制度の複雑化を招いてしまった。


 だが、1942(昭和17)年の健康保険法の改正から84年目にして、分娩の現物給付問題に終止符が打たれることになる。分娩費用を分析し、適切な診療報酬を導き出したうえで、2026(令和8)年を目途に、出産費用の現物給付化が行われることが決まったのだ。合わせて、自己負担分への無償化も行われることになり、ようやくお金の心配をしないで出産できる時代がやってくる。


 新型コロナウイルス感染症の影響もあり、2023(令和5)年の出生数は72万7277人となった。前年の77万759人を大きく下回り、推計より早いスピードで少子化が進行している。遅きに失した感はあるが、この方向転換が少しでも少子化に歯止めをかけるものになることを願いたい。



【主な参考文献】健康保険組合連合会『健康保険法の歩み その制定と改正の経緯』、厚生省保健局『健康保険二十五年史』国民健康保険協会『国民健康保険小史』、全国国民健康保険団体中央会『国民健康保険二十年史』、森荘三郎『健康保険法解説』、小山路男編著『戦後医療保障の証言』