「3大メガバンク」出身が牛耳る
「赤字経営になったことを大変申し訳なく思っている」
笠井直人社長は11月12日に開いた決算説明会で陳謝した。売上高こそ5.6%増の1755億円となったが、調剤薬局事業が予想よりも58億円足らず1565億円と伸び悩んで利益を圧迫した。前年は新型コロナウイルス感染症の流行から薬が出ていたが、今年はやや下火で、応需できた処方箋枚数が期初予想比で2.2%減った。下期は販売管理費の大幅なコストカットに加え、不採算店舗の統廃合を進めることで黒字化をめざす。
笠井直人社長(日本調剤ホームページより)
コストカットと統廃合はここ数年、力を入れてきた「敷地内薬局」が中心となる。敷地内薬局は病院から出る処方箋の多くを獲得できる一方で賃料が高く、値下げ交渉を進める。同社の薬局743店舗(9月末時点)のうち敷地内薬局は42店舗を占める。しかし、厚生労働省が24年度に敷地内薬局の調剤報酬を大幅に削減したことで、採算が苦しい店舗が続出。上期に4店舗を閉店・移転せざるを得なくなった。下期も閉店する約20店舗のうち半分が敷地内薬局になる見通し。役員として新規出店を担当してきた笠井社長にとっては苦渋の方針転換となる。
笠井氏が日調に入社したのは約10年前の13年。それ以前は三菱信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)の法人営業部で融資業務を担当、本社人事部の課長や新規事業の企画部長、日本橋店長を経験してきた。東京大学卒、61歳。入社してからは営業部門を統括し、門前薬局の物件獲得で辣腕を振るい15年から取締役を任されていた。
そんな笠井氏が社長に就任したのは三津原博会長の息子で社長だった庸介氏が今年4月に突然、「健康上の理由」で退任することになったため。4月30日に開催された取締役会で庸介氏から退任の申し出があり、急遽、常務取締役だった笠井氏が社長に就くことになり、合わせて博氏が会長に電撃復帰する人事が決まった。
父親の博氏は100キロを超える巨漢で豪胆さを持ち合わせる人物で知られてきた。90年代後半から本格化した国の「医薬分業政策」の波に乗り、病院前の土地を次々と買いあさると門前薬局を全国に出店して売上高を急拡大。ときに国の政策にも苦言を呈し、よくも悪くも薬局業界をリードしてきた。医師会から妬みを買うほどの高額報酬も話題で、18年3月期の役員報酬は8億2000万円。医療財政が苦しい中で薬局経営者が高額報酬を得ることに厚生労働省も不快感を示したが、気にする様子は見られなかった。
むしろ気を病んでしまったのは、後継ぎと期待された庸介氏のようで、カリスマ経営者だった親の存在がプレッシャーだったのか前々から父親との確執や心労が心配されていた。庸介氏は大学卒業後、99年に入社。00年代に小泉純一郎政権が医療削減として「後発品使用促進策」を掲げると、博氏は社長「肝煎り」の事業として後発品企業の日本ジェネリックを設立し、取締役に庸介氏を就けて役員としてのスタートを切らせた。博氏の国策をとらえて時流に乗る経営センスはさすがで、売上高200億円規模の事業に成長させた。
ただ、一方で工場や研究所といった設備投資に多額の資金が必要となり、銀行からの借り入れが増えるようになった。例えば17年に竣工したつくば第二工場の総工費は170億〜200億円の大型投資で、「手元資金だけでなく銀行からも借入した」(広報)という。
銀行からの借入と同じくして、増えたのが銀行からの天下りだ。現社長の笠井氏と同じ三菱UFJ信託銀行からは藤本佳久氏が11年に入ると管理部門を仕切り、16年から取締役を務めるようになった。さらにメインバンクのみずほ銀行からは08年入社の小城和紀氏が15年に取締役財務部長に就任。日本ジェネリックの社長を務める井上祐弘氏は三井住友銀行の出身で、23年から日調の取締役でもある。
社外と監査等委員を除いた取締役6人のうち4人が元銀行マンで、博会長を除くと生え抜きは薬剤本部長の小柳利幸氏だけ。経営体制はすっかり「3大メガバンク」の出身者に抑えられた状態にある。カリスマ経営者の博氏であれば、元銀行マンをうまく使いこなすことができたのであろうが、43歳の若さで社長となった庸介氏は経験不足で、老獪な元銀行マンに翻弄されたというのが実情といえる。
とにかく庸介氏が突如として退任したことで、笠井氏がリリーフ社長として就任したが評判はいまいちだ。社長就任の挨拶では銀行時代から歩んできた営業での経験を引き合いに「営業ではうまくいかないことばかり、明るく立ち向かえばいつか成功する」と述べたが、中身があるわけではなく「頼りない」との声が社内からは漏れる。9月には「長期ビジョン2035」を発表。36年3月期には自己資本利益率(ROE)を24年3月期の3.4倍の15%に引き上げる目標を掲げた。投資資本利益率(ROIC)は15%、営業利益は400億〜500億円を目標にし、売上高よりも収益性を重視する経営に転換する方針を示した。もともと長期ビジョンの策定は前社長の庸介氏が取り組んでいたもので、笠井氏にはこれをいかに実行するかの手腕が問われることになる。