——設立に携わった経緯は。


浅井 昭和49(1974)年生まれの私の子どもが、50(75)年に川崎病にかかり、その後、手術をしましたが亡くなりました。子どもの経過を知ってほしいという思いで、本を自費出版しました。その際に、多くの方から「本が欲しい」という連絡をいただきました。私たちも川崎病の情報がほしい。それから、とにかく知ってほしいと思っていました。そんな時、朝日新聞の取材を受け、 皆さんに本を差しあげて、そのような活動のなかで、親の会をつくろうっていう声がかかったのがきっかけです。


——活動内容を教えてください。


浅井 今は2ヵ月に1度、会報を出しています。新型コロナウイルス禍の前は、全国各地で講演会や相談会、懇談会をやっていました。最近、講演会をしようと動き始めたところです。電話相談では「何で再発するの」という相談が多いです。また、去年の今頃は、病院で「ガンマグロブリンが入ってこないから、打てない」と言われ「私はどうすればいいの」という相談が電話やメールで来ました。ただ、2月くらいには落ち着いて「足りない」という話はなくなりました。


 ほかにも、新型コロナ前ですが、厚生労働省に対して、川崎病には国産のガンマグロブリンを使ってほしいこと。後遺症がある人は、難病指定にしてほしいことを要望しました。