立ちはだかる「収入の壁」


 健康保険には、被保険者(加入者本人)と生計維持関係にある家族の給付が用意されている。対象は配偶者や子ども、親など三親等以内で、「被扶養者」と呼ばれている。これは被用者保険にしかない制度で、保険料の負担なしで給付を受けられる。ただし、年収130万円未満(60歳未満の場合)で、被保険者の収入の2分の1以内という要件がある。これを超えると扶養から外れて、自分で保険料を払ってその他の公的医療保険に加入しなければならない。つまり、被扶養者は非常にお得な制度と言えるのだ。


 日本では高度経済成長期に「男性は外で働き、女性は家庭を守る」という性別役割分業が確立し、長らく妻の収入は補助的な位置づけとされてきた。そして、女性誌の特集記事などを通じて、妻のパート収入は「年収の壁」を超えないように扶養の範囲で働くのがお得だと刷り込まれてきたのだ。


 また、企業にとっても、パート主婦は社会保険料を負担せずに安く雇える労働力として重宝されていた。だが、バブルの崩壊以降、経済の低迷によって終身雇用制度の維持は難しくなり、働き方は多様化している。とくに90年代後半以降に増加したのが非正規雇用だ。23(令和5)年は、全労働者に占める非正規雇用の割合は36.7%となっている(総務省統計局「労働力調査結果」)。非正規雇用のなかでも、専門職の契約社員、定年退職後の嘱託社員(再雇用)などは9割が被用者保険に加入しているが、短時間労働者は48.7%しか適用されていない(厚生労働省「令和元年就業形態の多様化に関する総合実態調査の概況」)。


 前述のように、会社員の夫に扶養されるパート主婦なら被扶養者になれて、保険料の負担なしで健康保険に加入できる。だが、短時間労働者のなかには、ひとり親などで自らの収入で家族の生活を支えている人もいる。彼らは被用者でありながら、国民健康保険に加入しなければならないが、保険料は相対的に高く、給付も貧弱だ。都道府県国保で傷病手当金を給付しているところはないので、病気やケガをして働けなくなると一気に生活が困窮してしまうのだ。雇用形態は大きく変化したのに、短時間労働者の社会保険の整備は不十分なままで、それが格差を広げる原因にもなっている。


 そこで、被用者にふさわしい社会保障の実現と人手不足の解消をめざして、12(平成24)年の法改正で短時間労働者の社会保険の充実が決まったのだ。ただし、パートタイマーを多く抱える外食産業や小売業などからの反発もあり、適用範囲は段階的に拡大されることになった。


 まず、16(平成28)年10月に適用対象になった事業所は、従業員数500人超の大企業で、次の4要件を満たす労働者である。


①週の労働時間が20時間以上

②月額賃金8万8000円以上(年収約106万円以上)

③勤務期間1年以上

④学生は除外


 翌17(平成29)年4月には、従業員数500人以下の企業でも、労使の合意があれば企業単位で短時間労働者への適用拡大が可能になった。その後、22(令和4)年10月には適用事業所が従業員数100人超の企業に拡大され、③の勤務期間が「2ヵ月超」に見直された。そして、24年10月からは従業員数50人超の企業にも適用対象が拡がっている。厚生労働省では、事業所の規模と②の賃金要件とを撤廃する審議が現在も行われており、社会保険の適用範囲をさらに拡大していく方針だ。