無くならない就業調整


 だが、適用対象になると、その分の保険料負担が労働者と事業所の双方にのしかかる。例えば、月収8万8000円(年収約106万円)の人の健康保険料は月額4391円。このほかに厚生年金保険料が月8052円かかるので、合計1万2443円が給与から天引きされるようになる(※)。事業所も同額を負担しなければならず、社会保険の適用拡大を歓迎する人ばかりではない。そのため、22年10月の社会保険の適用拡大の時は、「社会保険の適用を受けるために労働時間を延長した」という人が6.4%だったのに対し、「社会保険が適用されないように労働時間を短縮した」という人が12.0%もいた(労働政策研究・研修機構「社会保険の適用拡大への対応状況等に関する調査」及び「働き方に関するアンケート調査」結果)。


 こうした動きに対抗するために、23年10月から事業所向けの助成金制度「年収の壁・支援強化パッケージ」もつくられ、適用拡大を進める企業を応援する体制がとられるようになった。だが、事業主負担を逃れたい企業の一部には、1日の労働時間を3時間55分に刻み、週20時間を超えないような採用条件を提示しているところもある。


 11月15日の社会保障審議会年金部会では、短時間労働者に社会保険の加入を促すために、特例的に保険料の事業主負担の割合を増やす案も提示された。だが、支払い側からは導入に難色を示す声が上がっており、国の思惑とは裏腹に、そう簡単に「年収の壁」は崩れそうもない。


 本来、「保険」とは、万一の保険事故に備えて、普段から加入者が少しずつお金を出し合っておくことで成り立っている。給付と負担はセットで、母集団のなかに保険料を負担しないで給付だけ受ける人が多数いることは、原則からは大きく外れているし、不公平感もある。そもそも、1927(昭和2)年に健康保険法が施行された当初の給付対象は被保険者本人だけで、家族給付は行われていなかった。「被扶養者」が導入されたのは、太平洋戦争開戦の翌年に行われた1942(昭和17)年の健康保険法の改正で、日本が戦争に突き進むなかでつくられた制度であることを理解しておく必要がある。なぜ、この時期に「被扶養者」が導入されたのだろうか。次回、その経緯を詳しく探っていく。


【主な参考文献】健康保険組合連合会『健康保険法の歩み その制定と改正の経緯』、小山路男編著『戦後医療保障の証言』、吉原健二・和田勝著『日本医療保険制度史』

※保険料は24年度の価額。健康保険は東京都の協会けんぽに加入している40歳未満の人の場合