①世論形成が変わる


 パワハラ疑惑などを文書で告発された斎藤元彦前知事の失職に伴う兵庫県知事選は11月17日の投開票で、斎藤前知事が111万票余りを獲得して再選した。当初優勢だった元尼崎市長の稲村和美氏に13万票差を付けた勝利だった。テレビ番組で斎藤前知事のパワハラ疑惑が連日放送されており、世論は稲村氏圧勝と印象づけられていたが、反対の結果となった。


 選挙終了後のテレビの報道番組や情報番組では“斎藤陣営のSNS戦略が功を奏した”と勝因を分析して伝え、過剰なパワハラ報道を謝罪し、SNSの脅威について語る様子が見られる。


 本当のところはどうなのか知るには「金(かね)の流れを追う」ことと、金に影響されないものに着目することだ。


 兵庫県ほどの人口になると投票率に金の影響が及びにくい。兵庫県議会が全会一致で斎藤前知事の不信任を決議したこと、2人の要職者の自殺もまた操作できない事実である。今回の投票率は前回より14ポイント上昇したものの55.65%であり、県民の半分近くが知事選に関心を持たなかった。これが兵庫県民の最大の民意である。例えば賛成30%反対20%で賛成と決まっても、最大の意見とは「投票しなかった50%」なのだ。


 SNSで世論が形成されてしまうことは大変危険な兆候だ。大手メディアによる報道は、誤報や誇張、偏向はあるものの、テレビ番組制作は放送法に則っており、極端になる恐れはなく、訂正の放送もなされる。とくに選挙報道には配慮する。新聞報道も公職選挙法に則り「公平・公正」を追求するものだ。いずれも取材から事実確認、倫理面の確認まで「編集デスク」をはじめ、複数の人の目を経てから報道される。


 一方でSNSのほうは匿名で無責任に発信されるものだ。事実確認や他の意見との議論を経ずに世界中に流すことができる。当初のSNSは民主主義を発展させる道具と期待されたが、いざ普及してみると極端な意見が衝突するばかりで、対極の意見に耳を傾けず、考えにも関心を向けない。説得力に優れ発信力がある者が、注目を惹くように極端な内容にしたものを、流したことが「事実」として大衆に認識されてしまう。


 テレビや新聞には世論がおかしな方向に行っても正しい方向へ戻せる望みがあるが、SNSにはその能力がない。日本ではとくにインターネットでの誹謗中傷問題が目立つが、これは世界で最も読み書きができる日本人の教育水準の高さが災いしたものだ。海外から見れば羨ましいことであり、間接侵略にはこの特徴を必ず利用してくるものとして警戒すべきだ。


 20年以降から、企業などが広告費を大手メディアよりもインターネットのほうに多くかけるようになった。ネット配信のニュース番組が充実し始めるにつれ、放送時間に拘束されないことから、国民のテレビ番組離れが加速した。このため、大手テレビ局は視聴率を稼ぐための放送ばかりするようになった。


 どの局の報道番組や情報番組を見ても同じスポーツ選手の話題ばかりで、連日続けば国民は飽きてしまう。テレビを見ない10歳代から30歳代、テレビに飽きてしまった50歳代に向けたSNSでの情報発信が東京都知事選から顕著になってきた。


 しかし、SNSのフォロワー数も高評価も金で買えるものである。とくに兵庫県知事選で見られるような急激な支持者数の増加は自然発生とは思えないところがある。世の中に流される情報には、周知されることで誰かが利益を得られるように、方向付けられているものだ。選挙戦がテレビ対SNSの様相を呈していても、双方「金」の面では共通している。それが兵庫県の現状から乖離すれば多くが「無関心」になる。そして、大手メディアよりも「もっと公平・公正ではない」ネットでは特定個人による方向付けが不可逆的に行えてしまえる。見かけは「民主主義」に見えるため善良な独裁者よりも始末に負えない。


 一方で、ネットの普及により大きく変化したものが表にある「トクリュウ」犯罪である。これまでの防犯対策で得てきた教訓を活かせないほど、犯罪の常識が変わってしまった。