メディアに感じる老害脳化
著者は「老害」について、「年をとった人が若い人の自由な活動を妨げる」と定義している。異論はない。私は前述の古参記者に無理矢理、高級酒場に割り勘で誘われたが、彼はそのときの領収書を取材費で精算した。こうなれば「老害」を超え、犯罪でさえある。
こうした例は異常ではあるが、同書では事細かく「老害脳」の弊害を説いていく。その前提を語るなかで、著者は日本社会の特性が「老害」を蔓延させているのではないかとの見方を語る。要約すれば、曖昧な表現で世渡り(空気を読む)し、相手を傷つけないようにするらしいが自分も傷つきたくない、年齢の上下を大事にする、といったことが老害を温存する装置となっているということだ。前述の「さん」づけ職場で私が感じた自由さは、職場での一定の上下関係を緩和し、若手が有益な教育を受ける環境が整っていたことに通じている。活性化した職場からはスクープも新企画も旺盛に飛び出した。
付言すれば、その頃の私がいた職場環境は、当時の編集局長がつくり出したもので、これは社内他部署には評判が悪かった。当の編集局長が去ると、編集部門も徐々にタテ型に、トップダウン型になった。老害が跋扈する環境へと転じていった。日本社会はそうであることがスタンダードで、それは今も続く。
今回の読書のタイトルは「老害脳」で、確かに老害化する脳のメカニズムや老害にならないためのハウツーも述べられている。しかし、私の読書としては著者の「老害社会」への憂慮を本質的課題として読んだ。むろん、「老害脳」をできるだけ防ぎ、認知症への進行を阻止することで、超高齢化社会となる日本の未来を考えたいということも必要で、そのためには「脳科学」や脳メカニズムを知ることは有用だと思う。
一方的な読み方かもしれないが、「現在の日本にとって、どうやって『老害脳』化を止めるかは、認知症を食い止めることにもつながるだけではなく、最終的に、日本の将来を左右する案外大きなテーマではないか」(第2章)が、本書の最大のテーマであると思う。
例えば、この第2章では世代を超えた交流が「老害脳」化を防ぐとして、世代も個人も超えて自由な発想が飛び交い、ともに力を合わせて働ける場所をつくるか、それとも邪魔をし、ぶち壊すのかと問いかけている。著者は、「成長していたいと思うのなら若い世代との交流を積極的に行うべきです。そうすることで多くの若い人たちの活躍にもつながり、社会が活性化する」と結論を示すが、この一見やさしく見える処方箋は、現在の日本社会では実際には大変克服することの難しい課題だ。現実には難しすぎるように思える。
象徴的な話は、先の兵庫県知事選にまつわる騒動にみることができる。当初の予測を覆して、県議会に不信任された前知事が2位にかなりの差をつけて再選したが、この結果を招来したのはネットを軸に行動した若い人の投票によるものであることに異論はないだろう。投票率は前回知事選を14ポイントも上回った。
私が奇異に感じているのは、この選挙の分析を通じて従来型の新聞、テレビ、ラジオなどのマスメディアを「オールドメディア」とし、ネットを「ニューメディア」と色分けされたことに関し、「オールドメディア」側が不満げに対応しているように見えることだ。
従来から選挙については、若い人の投票行動が低調であることを問題視するオールドメディアが多かった。また若い人が投票行動を起こせば、変革が起こるという期待もオールドメディアは語り続けていたはずだ。だが知事選の結果を見るや、オールドメディアの大多数がネットを攻撃し始めている。ネットにはフェイク情報が多く、若い人がそれに同調しやすいことが「逆転」の構図になったと言いたげだ。私は、この現実が「老害」に見えて仕方がない。オールドメディア側には、選挙前の報道のあり方を検証する、再検討するという動きがない。実際、一連のオールドメディアの報道にフェイクはなかったのか。ネットのフェイクのみを叩いて若者を除け者にする「老害脳」化してはいないか。
著者は脳科学の研究者として、脳個性同士の相互作用をできるだけ多く起こそうとする努力を求める。「老害の最大の悪は、その相互作用を断ち切ってしまうことに他ならない」というのに異論は挟めないはずだ。
本書は「老害脳」を予防するためのハウツーも豊富に掲載されている。脳が中年期に入る40歳代、50歳代が「抗老害脳」対策を始める最も重要なタイミング、というのはすでに70歳代の私にはつらいが、誰もができれば85歳までは健康な脳のままで生きることは可能だという言葉に勇気をもらって、9項目にわたる「タイプ別老害脳サイン」を読んだ。
成功譚など自慢話はないし、友人もいる。でも少し面倒臭がりで、年とともに身なりを気にしなくなってきたのは反省しました。
ただ、私はまだ知らないことばかりで、まだ覚えなければならないことがたくさんある。それなのに物忘れも増えている。書かないでいると漢字が書けなくなっている。こんなことを自覚するのも「老害脳」かもしれない。加藤先生に訊いてみたくなった。