英語能力が国の不沈に影響


 日医の松本吉郎会長は、3月5日の記者会見で今話題になっている高額療養費制度見直しについて、8月に予定通りの自己負担額の上限引上げの政府方針を容認するとも受け取れる発言をしている。がん関係などの専門学会や都医師会と異なる意見である。公的医療保険はがんなどの命に関わる重篤疾患を手厚くカバーし、OTC類似薬などの比較的軽い疾患に関するものはフランスのように償還しない(または薄くしていく)のが本筋である。同会長はまた病院と診療所を「医療機関」と一括りにして、病院の窮状を医療機関全体の窮状と胡麻化しているのではないか。なお原稿執筆中の3月7日、石破茂首相が8月の引き上げを見送ることを表明した。


 ただ、OTC類似薬の保険外しも、広告やパッケージ(外観を重視する「日本的品質」を思い起させる)のために、比較的高価な市販薬(溶出試験や製造・品質管理に対する懸念もある)で代替するという単純なものではなく、日本総合研究所の成瀬道紀主任研究員が主張する、零売と言われる安価な非処方せん薬の活用を真剣に考慮すべきである。国民・患者の視点が重要である。


 石破首相の「キムリア」発言が出た2月21日の衆院予算委に関するヤフーニュース報道への読者コメントを紹介したい。「祖母は良く病院で大量の薬と湿布薬を処方される。……電話で『〇〇はもう不要。服用すると却って体調が悪化するので処方をやめてほしい』と伝えると、『本人の希望がなければ出来ない』とのこと。直接診察についていってようやく不要な薬を切ってもらったが、こんな年寄り任せ&怠慢な診察をしていたら薬剤費がかかるのは納得。高齢者にこそ処方する薬は年齢に応じて種類や量の制限をかけていくべき」


 最後については検討が必要だが、無駄な投薬は本当に多いと聞く。OTC類似薬外しに対し、日医の宮川政昭常任理事ら幹部が、受診控えや医薬品の相互作用などから患者の健康を損なうと反対したが、前述のコメントにもある通り、はなはだ説得力の低い主張だし、先に上げた公的医療保険の原則を蔑ろにするものである。高齢者施設でアルツハイマー型認知症薬が広範に処方されているとの話も聞くが、これも無駄ではないか。とにかく、高齢者施設や医療機関での無駄な投薬にはもっと鋭いメスを入れるべきだ。


 規制面を中心としたイノベーションの阻害要因については、まずは日台医薬交流会で囁かれたという台湾ベンチャーの言葉を紹介する。「日本は制度が複雑すぎて承認申請する気にならない。市場は日本でなくて米国だ」。よく指摘される薬価制度の複雑さ、予見性のなさも、単年度予算や担当主計官が2年ごとにコロコロ代わることなど抜本的なところに斬り込まないと、到底改善は見通せない。


 一般人の声が小さい国では、官僚の天下である複雑な制度がまかり通ってしまう傾向にある。年金制度然り、薬事規制・薬価制度然りである。確定申告の作業を行っていることもあるが、他の先進国で一般人がこんな面倒なことをやっているとは思えないのだが。学校の先生や大学などの研究者の業務、種々の申請や手続き、とにかく日本には無駄な業務・書類が多いと感じる。過度の事なかれ主義、発想の貧弱さ、幹部やエリートが責任をとらないことなどから無駄な手続き・書類が、薬事を含め溢れている。


 規制面(だけではないが)では英語能力の貧弱は、国の浮沈に大きく関わるレベルだ。地方の有力者、一次産業、中小企業を中核地盤とする自民党に危機感がないのは理由なしとしないが、米欧の規制のよいところをとろうとしても、理解・咀嚼に時間がかかる、文章の解釈や文章に記載のないところに疑問を持っても、なかなか外国の当局者や専門家に意見を聞きにくいし、ハードルが相変わらずすごく高い。医薬品医療機器総合機構(PMDA)のワシントン・バンコク事務所の働きにも関係する。


 先に触れた台湾では知る限り、20年ほど前から当局は英語で審査を行っているし、韓国は現在、政治的には北朝鮮の存在が大きく、混乱の極みにあるが、「韓国人のほうが英語が話せる」し、その差は開いているようだ。TOEICの「Speaking & Writing」が浸透しているのに対し、日本では人口が倍なのに受験者数は1ケタ低いという。香港やシンガポールでは中国語を母国語とする人々が生活向上のために死に物狂いで使える英語の習得に努めた。今、日本がそれを必要とするといっても過言ではないだろう。