にもかかわらず、内部告発文書が登場したのは、斎藤知事自身の問題のようだ。斎藤知事は東大経済学部を卒業して総務省に入省したエリートである。霞が関の人たちによれば、財務省のエリート官僚は将来代議士になり、総務省の官僚は知事になるのが最大の出世だそうだから、若くして兵庫県知事に当選した斎藤氏は最高の出世頭だろう。


 もっとも、エリート官僚が国民の生活よりもご本人の出世に精出すのは困ったものだが、総務官僚時代は東日本大震災の復興にも関わり、大阪府にも出向したそうで、地方自治の問題に取り組む意欲を強くしたようだ。東日本大震災の復興中に意気投合したのが「牛タン5人組」と言われる所以らしい。


 それはともかく、官僚時代に見てきた地方自治の問題を解決しようと張り切ったのだろう。それが知事業績になったようだ。


 だが、人格のほうはイマイチだ。仕事はできるが、トップに立つ人間としての魅力が、いや、器量がないのだ。維新の会の地方議員には働き盛りの若い人が多く、意欲的だが、その代わり破廉恥事件を起こしたり、問題を起こしたりすることが多いのも、斎藤知事と同様、人間としての成長に欠けているせいだろう。内部告発の内容もトップとしての問題点を突いたものだ。例えば、パワハラとして公用車が建物の玄関前ではなく手前で止まったことで、20mを歩かされた、と激怒したことや部下がエレベーターのボタンを押すのが遅れたことで怒鳴ったなどと言うのも、人間としての未熟さを露呈したものだ。


 しかも、相手は県職員という地方公務員である。公務員というのは就職したときには国民のため、市民のため、と意欲的だが、1年も経つと、当初の意気込みは消え、役所内の流れに従うようになってしまう。保守的になる。保守とは、現状維持の姿勢である。IT化が最も遅れているのは官公庁だという話がよく出るが、それも従来の方式を変えたくないという保守の姿勢から出ている。それでなくても前知事の時代が長かった。その前知事から斎藤知事に代わり、急に仕事の流れが変わったのだから保守的な職員が抵抗感を持ち、斎藤知事の行動がパワハラに走り、反感を抱くのは人間として当然なことだ。


 では、どうしたらいいのか。実は、かつて大手商社が設立させたレジャー施設のコンサルタント会社にいたことがある。田中角栄首相の列島改造論に乗って大手商社自身や系列会社にあっちこっちの山林を買わせたが、その後のオイルショックでほとんどが不良債権になり、その未開地をゴルフ場や会員制のテニスクラブをつくり有効活用するためのコンサルタント会社だ。当然、ロクな物件はない。


 ゴルフ場にどうか、という現場を視察して「新幹線の駅から遠過ぎるし、近くに高速道路もない。大規模な土木工事が必要だし宿泊ロッジをつくらなければならないし、経営の見通しも立ちそうもない」と報告すると、大手商社の課長氏は「豚の放牧場にしたらどうか。豚は本当は奇麗好きだぜ」という。牛が奇麗好きということは知っているが、豚も奇麗好きだとは知らなかった。


 あるいは、会員制テニスコートに活用する案で、設計図を用意した打ち合わせの席に、かねて「設計図ができたら、後は任せろ」と言っていたラケット会社の担当者が来ない。大手商社の課長氏が激怒したが、その翌日、ラケット会社が倒産したというニュースが入ってきたこともある。


 そんななかでも、どうにか完成に漕ぎ着けたゴルフ場もある。そのゴルフ場の設計者のTさんは常々「オレは造園屋だよ」と言う謙虚な人で、「土木工事を建築と同様にシステム化したい」と語り、工事が始まると現場のプレハブに2ヵ月も3ヵ月も泊まり込み、工事を指導する。すると、最初は「俺たちは土木の専門家だ」と自負し、Tさんの提案に抵抗していた大手建設会社の土木部長以下の連中がT先生、T先生と慕ってしまうのだ。このT氏は若い私に「人を褒めるときは皆がいるところで褒めろ、叱るときは当事者を陰に呼んで人のいないところで叱れ。どんな馬鹿でも人間には自尊心というものある。それを尊重しなければいけない」と言っていた。斎藤知事の内部告発騒動で、改めてT氏の言葉を思い出した。


 斎藤知事には、このTさんの思考が足りないのだ。公用車が玄関前に止まらなかったら、笑いながら「もう少し前まで行けないのかい」とでもいえばいいのだ。おねだりもすべきではない。言葉の行き違いだと言うだろうが、それは違う。視察先でリンゴにしろ、桃にしろ、視察先から提供されたら、財布から渋沢栄一か津田梅子を出し、貰った桃なり、リンゴなりは帰りの車に乗る際、案内した職員にあげることだ。桃が欲しくとも我慢が肝心だ。桃を知事から譲られた職員は嬉しかろう。知事のために働こう、という気になる。


 上に立つ人の心得である。「信を問う」という11月の知事選に立候補しても、斎藤知事自身が変わらなければ当選するのは難しかろう。(常)