(中編から続く)
茂木 部外者、関係のない人がデータをいじっても、わからない。主体が主体でないわけですよね。それは信用できないよね。なぜ信用できないものが存在したんでしょうか?
井高 もうひとつ今回の問題で怖いのは、慈恵医大も京都府立医大も、メーカーの統計専門家の力を借りなければ研究ができなかった事実がわかったことです。そうすると、ほかの大規模臨床試験はどうなんでしょう。そこには統計専門の人がいるのかと。そこでもメーカーの統計専門家が手伝っているんじゃないかという疑念が生じてきます。今回の件で、大規模臨床試験で研究者が「我々は統計解析のことは何も知らない」という。それが日本のスタンダードだとすれば、他はどうなの?と。ディオバンだけが特殊なのかと。そもそもメーカーが関わっていない大規模臨床試験ってあるの?と。深刻な疑問が浮上してきます。
茂木 これは氷山の一角で、こんなんボロボロ、山ほどあると。
井高 珍しくはないでしょう。データ操作という面で見れば、一種、社会部的な発想で「犯人は誰だ」って話になるんですけど。データ操作以前に、日本の臨床研究は、構造問題を抱えているんです。ディオバン問題が「個別の不正問題か、構造問題か」と問われれば「どちらでもある」と答えるしかありません。データ操作という不正があれば、それは許されるべき問題ではないです。しかるべき権限があるところがしかるべき調査をして、しかるべき処分を下すべきでしょう。しかし、構造問題ととらえた場合、こういう研究のスタイル、枠組みというのは、ディオバンだけですか?他は、大丈夫ですか?となります。
茂木 大規模臨床試験をしようという、ひとつのブームのとっかかりのようなものがあって、それをディオバンあたりがして、当時としては、それは臨床試験の体制も全然なってないままに、ただお金とニーズだけあったと。そこでスタートしたということなら、まあまあそういうことなのかなあと、今から検証しようと思っても、データも人も、ぜんぜん検証できない状況になっている。業界全体も甘く、対応が遅れてきました。日本は世界からみれば遅れている国かもしれないよね。
今岡 ひとつ言えるのは、大学や製薬業界は、この問題に対する認識が甘かったということです。2月に元社員が関わっていたと報じられ、業界のなかでも、そんなことはままあると、それで対応が遅れてノバルティスの取材をしていても、当初、自分達は悪くないという意識を感じました。そこの世間との認識のずれはあったと思います。説明責任として、もっと早く会見をして、謝罪をすることは別に説明の会見は、4月、5月であってよかったと思います。それを大学や学会が先行してしまいました。大学も悪いけど、企業の方が悪いという雰囲気がつくられてしまいました。ノバルティスは後手の対応で、企業イメージが低下しました。
茂木 大学の方が先行してしまって、ノバルティスの会見、説明が後追い的になったのが、問題を大きくしてしまったと。
井高 ノバルティスの肩を持つつもりはありませんが、ひとつは社長交代の時期にさしかかっていたというのがありました。三谷宏幸氏から、二之宮義泰氏にバトンを渡す時期に重なっていました。この問題があったから、わざとバトンタッチして逃げたんじゃないかという人がいるけども、社長交代というのは、数ヶ月で決められるものではないので、客観的に見て、交代は以前から決まっていたと考えます。二之宮氏が就任したのが4月。その時期に、二之宮氏が自分の判断で、どれだけのことを言うか、また三谷氏が禅譲しようという時に、どれだけこの問題について準備ができていたかというのがあります。
それともう一つ。企業の危機管理にとって、非常に大事なことだと思うのですが、外資系企業というのは、こういう問題があったときに、どれだけ日本法人としてスタンドプレーが許されるのか。結果的に大学が先に会見をして、ノバルティスは本国の調査結果を7月29日に発表するんですけど、その前に日本法人の判断で、日本法人単独の会見をすることが許されたのか。本国サイドのガバメントが絡んできます。すべてが後手、後手でなっていない。会見が、大学より遅れて駄目だ、との批判は、その通りだけど、外資系だから日本法人だけの判断で迅速に動けない。ある種、外資系日本法人の悲哀も感じさせる。危機管理という面から見た本国とのコミュニケーションということで、今回のケースは、ひとつ教訓になるかもしれません。
茂木 不運も重なった。
今岡 ノバルティスは5月時点で、日本法人として社内の調査報告書をまとめています。それを結局、要約しかメディアには発表しませんでした。報告書は全文で18ページですが、それは一切発表せず、一部の学会の人間にしか渡しませんでした。この対応はメディアに不評で、何かを隠しているという印象を与えました。報告書には大学のことが記載されているので、大学の許可なしに出すことはできなかったのかもしれませんが、それでも非常に印象が悪かったです。結局、断片的に情報が漏れて、繰り返し報道されることになりました。
茂木 国内メーカーだったら、うまく乗り切れました?
井高 間違いなくもっと早くできたと思います。外資の場合、本国とのやり取りがあるので、その分だけ時間がかかります。どれぐらいのロスが生じたかわかりませんが、国内メーカーは自身で決定できるので、その分早いはずです。ディオバン問題にしても、本格化するのは、ヨーロピアン・ハート・ジャーナルの論文が取り下げられた2月ですから、記者発表まで結果的に半年ぐらいのことなんですよ。それでも、駄目だ、遅いといわれているんですけど、日本法人だったら、本国に、いちいち相談する必要がない分、もっと短縮はできたと思います。
茂木 広報の対応はそれぐらいで。
今岡 広報に対しては、遅いとは言いましたが、本音をいえば同情しているところがあります。
井高 広報は精一杯じゃないでしょうか。
茂木 一般マスコミはどうですか?
今岡 これは難しい話ですね。はじめのあたりは企業が悪いと。企業の中でも元社員が悪いと。丁寧に読んでいけば、そうではないことはわかるんですが、印象としては、とにかく元社員が悪いから、元社員の自宅まで行ってコメントを取って来いというような。元社員が重要人物であるのは確かなんですが、元社員が捏造の犯人だというイメージが広がれば、大学にとっては都合がいいとも思いました。
井高 これは不正問題であり、構造問題でもあります。一方の不正問題として捉えて犯人捜しばかりに囚われると、犯人が特定されれば、あとは終わりになってしまいかねない。また、犯人を捜す役割は、誰が適切なんだと。ジャーナリストなのか、ノバルティスなのか、大学なのか、厚労省の検討会なのか。捜してもいいけど、権限がないところがやっていって正確、的確に突き詰められるのか。殺人事件のように間違いなく犯人がどこかで息をひそめているというものでもない。そう考えると、自分がその側面から取材するのは、コストパフォーマンスからみても合わないな、と考えました。
茂木 問題はまだ終ってないので早いかもしれませんが、ディオバン問題で今後、製薬会社の方からみて、考えるもことがあると思います。何かあれば。
井高 データ操作はもっての他なんですが、それを差し引いたところで他に問題はないのでしょうか。研究者もメーカーも本当に、真摯に愚直に取り組んでいるのでしょうか。研究プロトコルだけでなく、発表の仕方も含めて非常におかしいなというところがあります。昨今、言われるスピンというやつです。英語のSPIN(回転)から来ている言葉です。
例えばエンドポイントで死亡率をみるはずが、差が出ない、あるいは比較対象群の方がややいい結果が出ている。その際、死亡率を棚に上げて、後ろ向きに見て対照群より、よく出ているデータを探す。で、たまたま二次エンドポイントの狭心症で少しばかりいい結果が出ていることを見つけて「狭心症でいい結果が出ました」と、そこだけ強調して大々的に発表する。要は、情報の受け手の関心を、主要エンドポイントから二次エンドポイントに回転させる。
ディオバンはデータ操作で叩かれているけど、データ操作以前に、慈恵医大、京都府医大に関しては、試験プロトコルでもおかしな点がありました。大規模臨床研究には、他にも怪しいプロトコル、発表の仕方が、たくさんあります。少なくとも早急にスピンはやめるべきだと思います。また、ジャーナリズムもチェック機構の役割を果たすなら、企業のニュースリリースをしっかり読み込んでスピンを見抜き、本当のことを書かねばなりません。そういう意味で我々ジャーナリストもすごい教訓と、宿題を貰いました。
今岡 製薬企業が何を学ぶかということですが、今回の問題は利益相反というのがキーワードになっています。しかし、こんな話は10年前から問題になっていました。経営者だけでなく、研究開発、営業も含めて、10年先を見据えた行動が必要なのでしょう。10年前、利益相反がどうだと言われてきたとき、ノバルティスがきちんと対応していれば、こんな問題にはならなかった。似たようなことは今でもあると思います。とにかく売ればよいという姿勢だけでは、10年後にとんでもないしっぺ返しをくらうと思います。
茂木 井高記者のいう、今すぐにしなさいという話と、今岡記者の10年先を考えてするというのはどちらも大切な話。難しい話。それほど今回は大きな問題で、複雑な問題だと思います。これらかもまだ続くけど、これからもウォッチングしていきましょう。 【2013年10月16日】
おわり