(上編から続く)
茂木 だとすると、何らかの操作が加わるのは、恣意的なものが働くのはあたり前ということ。
井高 データ操作はもっての他のことで論外。しかし、メーカーがスポンサーになれば研究にバイアスが働いてしまいます。いまの仕組みで、ゼロにするのは難しいということです。
茂木 それは言い換えれば、単に期待しているということかもしれないが……
井高 最終エンドポイントが決まっているのに、途中で最終エンドポイントの指標を増やしてみたり、また最終エンドポイントでよい結果がでないからといって、それは伏せて、二次エンドポイントだけ取り出して、すばらしい結果が出ましたと言ってみたり。
茂木 統計上の細かい話ですね。今岡記者に聞きたのだが、スポンサーである製薬企業と実際の大規模臨床試験をする医者との関係は前から、ある種の色眼鏡で見られていた部分があるので、利益相反のことを色眼鏡で見られないように襟をただしましょうという動きはあったと思います。
今岡 あったと思います。ルールは作られ始めていたでしょうから。
茂木 そういうことと、今回のことは、タイミングがよいのですが。
今岡 ちょうど透明性ガイドラインという形で世間一般から見て、製薬業界が取り掛かり始めたというのが見えたのが今年でした。10年前からルール作りや議論をしていました。今回の問題というのは10年前、利益相反などが議論されはじめたときの出来事がもとになっています。それが製薬業界としてはルールが整って、世間から見える形になったとき、タイミング悪く出てきたというのはあると思います。
茂木 一般社会からみて、問題として意識はあったが、対応がすごく遅れてきたと、そこに一般紙があまりにも遅いのではないかと飛びついたのではないかという見方もできると言うこと。
今岡 はっきりいえば業界は遅かったと思います。00年にヘルシンキ宣言で利益相反が触れられていました。文部科学省のほうでもガイドラインが作成されていました。にもかかわらず学会のルール作りというのは、遅れていて、どちらかというと、したくないが仕方ないからすると、いうような感じがあったのではないでしょうか。世間の感覚からすれば、かなりずれていたと思います。今回の問題で、その対応の遅さのツケが回ってきたということです。
製薬業界についても、社員が試験に関わるというのは、試験を支援するという形で、この業界では常識であったと、資金提供に関しても研究者で足りないということなら、提供しようと、産学連携という言葉で歓迎された風潮はあったと思います。
茂木 一般的な見方がかなり厳しくなっていたことに、業界のなかの常識で、悪意はないのだが、期待を込めるとそっちに行ってしまうと、業界の中の甘さというものに、一般の目がきつくなっているのに気づかなかった。
井高 そこは偶然のような気もしますけど、データ操作の匂いを嗅ぎつけて、毎日の記者の方々が取材、報道を進めたら、やっぱりあった。で、徐々に構造問題にスポットが当たった。もちろんケチをつけているわけでなく、結果、大きな成果につながりました。
茂木 ひとつやっぱり、いまなおかつ、収束していない理由として、肝心の誰が何の目的で人為的にデータを操作したのかということ、それが未だヤブの中であることです。不思議な部分。これはなぜ、核心に迫ることができないのでしょうか?
今岡 根本的な問題でいえば、記録がない。その杜撰さ。検証ができないことにあります。また、大規模臨床試験の特徴だと思いますが、捏造といっても、責任者の医師がしたとは限らないことです。大学によっては100人ちかくが関わり、他大学や製薬企業の人間もいたりする。誰がどういじっていたのか特定するのが難しい。
茂木 捜査権をもっているところが、捜査したわけではない。裁判にもなっていないので、事実を隠している人がいるというのは考えられないでしょうか?
今岡 当然あると思います。厚労省の検討委員会がヒアリングをして調査しました。大学も企業もしていると。でも、それは強制力がない。本人が嘘をつこうと思えばつけるし、証拠を出してくれと、私物のノートパソコンを出してくれと言っても拒むことができます。元社員だろうが、研究者だろうが、誰がしようが、もし本当に知ろうと思えば、国家権力、司法、警察なりの捜査・調査権でないとわからないと思います。
井高 そこは同感です。各大学やノバルティスが調査結果を発表したり、厚労省の検討委員会が中間報告を発表すると、毎回、「ツメが甘い」と、当事者を突き上げる意見が上がりました。しかし、果たして「もっとやれ、早く犯人を捜せ」といったところで、捜査権限がない彼らにどこまでできるのか。そもそもしっかりした記録も残っていないほど杜撰な体制で、10年前にやった研究です。指示命令系統さえ適当で、何となくムードで回っていた感じもあります。
実際、大学や企業、検討会の調査は、限界だったと思います。にもかかわらず、「調査が甘い。もっとやれ。早く犯人を捜せ」と追い詰めていった時、次に何が起きるのか。一番恐ろしいのは、「総括せよ」ってやつですよ。当事者がみな、追い詰められ、苦し紛れに、根拠が希薄なまま、誰かを人身御供にして血祭りに上げる。浅間山荘事件がそうです。日本人は過去に、大変な間違いを起こしてきました。厚労省の検討委員会が、ダメとか、ノバルティスがなってないと詰め寄るのは、大変、危ない。逆に本質から離れてしまう危険がある。
そもそもこの問題は、犯人を捕まえて逮捕すれば「はい終わり」という類のものではないでしょう。いま検討委員会が終わって調査権限、捜査権限がある厚労省にボールが移りました。だから「一体、誰がいつ何の目的で、データをいじったんだ」という部分を明らかにするのは、これからの作業だと思います。それはしかるべき権限のあるところに委ねないといけない。「なんでお前ら自身で、できないんだ」と、大学やノバルティスをいくら突き上げても無理だろうし、逆にこれ以上、突き上げたら危ないだろうというのが自分の見方でしたね。
茂木 誰が何のために人為的にデータを操作したか、わからないけど、誰かが操作をしたと、大学が発表したわけですよね。大学側がそれ以上のことに触れないというのは、解せないと思います。大学の責任というのはいいの?
井高 誰かがデータを触ったということまでは明らかになっています。比較試験でディオバン群に有利になるようなデータ変更が多かったという状況から推察して、何者かが、何らかの意図をもって、言ってしまえばディオバン群を有利にするために、操作したと結論付けています。
しかし、一般的に言えば、エンドポイント委員会でデータクリーニングをするときに、カルテと実際の解析用データを照らし合わせて、参加医師がイベントとして報告したのに、エンドポイント委員会が「これはイベントとは言えないね」とか、イベントになっていないのに「これはイベントにすべきだ」ということで、変えることだってあるんですよ。ところが、今回の件は、エンドポイント委員会さえ、まともに機能していなかったわけです。そうなると、データの変更はしかるべき人が、しかるべき判断で操作したのか、それとも元社員を含む誰かが、ディオバン群を有利にするためにいじったのか。実のところ、まだ断言しきれないとも言えます。
茂木 そこが不思議なんで、やった大規模臨床試験の主体は大学であるわけです。主体が、自分たちがしたのにもかかわらず、わからないと。任せていても管理責任があるはずなので、管理責任さえも、自分たちの責任を認めようとしないように思えます。
井高 大学の記者会見は、統計解析はメーカーの元社員に任せていたので我々は何も知りませんというような感じでした。京都府立医大は、いささか自分たちも悪かったというニュアンスがあったような気がしますが、慈恵医大は、データを丸ごと渡しているので、まったく知りません。悪いのは元社員ですという話でした。ようするに企業だけ悪くて、大学は騙されただけ。我々は犠牲者だという。この辺りの認識は、今岡記者とも共有していて「大学側の責任をもう少し訴えていかないとまずいね。どう考えてもバランスが悪いよね」という姿勢で報道してきました。
ノバルティスは当然問題ですが、大学も相当、問題なんですよ。いつ、どこで誰がやったのか。その追及さえ、放棄していますから。というか、実は当時の体制が杜撰すぎて調査しようがないんでしょう、きっと。そもそもデータ操作以前に、この研究で、誰がいつどこで何をしていたのかさえ、知らないといっている。データ操作どころではない。記録もしてないんですから。
医薬経済社 記者座談会(上編)
医薬経済社 記者座談会(中編)