シリーズ『くすりになったコーヒー』


 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は、ヒトの細胞表面にあるアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)に結合して感染します。そのためACE2は「SARS-CoV-2の受容体」とも呼ばれています。そのACE2が細胞を離れると、血液に溶けて全身を循環します。可溶化、血漿、循環などの接頭語をつけて呼ばれますが、ここでは循環(circulating)を選んで、循環ACE2と呼ぶことにします。


 SARS-CoV-2に感染したCOVID-19患者の治療に、感染から回復した元患者の血液を輸血する方法が注目されています。元患者の血液に抗体が含まれているからです。その抗体の代替として、人工合成した循環ACE2にも一定の効果があると言われて試行されています(詳しくは → こちら )。


 さて、去る10月3日のランセット誌に「循環ACE2の高値は心血管系疾患の重症化~死亡の兆候」とのコメント記事が掲載されました。従来のバイオマーカーより精度が高いとも強調されています。となりますと、COVID-19で循環ACE2による治療が長引くと、副作用のリスクが気になります。また、疫学研究では「心臓病による死亡リスクはコーヒーで下がる」となっていますから、コーヒーと循環ACE2の関係も気になる所で、状況は複雑です。


 以下は、コメント記事の翻訳(岡 希太郎)です。尚、レニン-アンジオテンシン系についてはネットを参照してください(このシリーズなら → こちら )。


【以下はランセット誌の翻訳】

www.thelancet.com Vol 396 October 3, 2020 pp937-939.


循環ACE2:心血管病リスクの新たなバイオマーカー


Jay Ramchand, Louise M Burrell

米国クリーブランド病院心血管研究所、オーストラリア・メルボルン大学医学部


 レニン-アンジオテンシン系の調節不全は、ヒトの心血管疾患の進行に大きな役割を果たしています。レニン-アンジオテンシン系内の酵素反応はアンジオテンシンⅡを生成し、血管収縮と炎症など有害な心血管作用を促進します(文献1)。アンジオテンシンⅡを分解するアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)は、この系の有害作用を打ち消すように作用します(文献2,3)。2005年に、ACE2は重症急性呼吸器症候群コロナウイルス(SARS-CoV)の受容体として同定されました(文献4)。ACE2は今回のSARS-CoV-2のウイルス侵入にも関与し、感染患者(COVID-19患者)が広範な全身性疾患を引き起こす原因になっています(文献5)。ACE2は血管内皮細胞に存在していますが、注目すべきは、循環血中へのいわゆる脱落を起こすことです。心血管疾患の患者では、循環ACE2活性の増加により、心不全、冠状動脈狭窄、大動脈弁狭窄などの症状が有害転帰すると予測されます(文献6-8)。ただし、その他の患者や健常者においては、循環ACE2がリスクのバイオマーカーなのか否かは解っていません。


 Sukrit NarulaらはLancet誌で、一般集団における循環ACE2濃度に関する最大の疫学データセットを提示しています(文献9)。彼らは、多国籍の前向き都市農村疫学研究からの10,753人の参加者を含むコホート研究を行いました。これにはサブコホートとして無作為に選んだ5,084人の患者と、心血管症状を示す5,669人が含まれました。サブコホートでは、2,935(57.7%)が男性で、2,149(42.3%)が女性でした。平均年齢は50.79歳でした(SD 9.58)。解析結果として、従来の心血管リスクマーカー(喫煙、糖尿病、収縮期血圧、非HDLコレステロール、およびBMI)と比較して、死亡リスクと最も強く関連する独立予測因子は循環ACE2濃度であったと報告しています(文献9)。循環ACE2濃度の上昇と従来のリスク因子上昇との関係は次の通りでした:全死亡リスク(1SD増加あたりのハザード比[HR] 1.35 [95%CI 1.29–1.43])、心不全発作(1SD増加あたりのHR1.27 [1.10–1.46])、脳卒中(1SD増加あたりのHR1.21[1.10–1.32])、心筋梗塞(1SD増加あたりのHR1.23 [1.13–1.33])、糖尿病発症(1SD増加あたりのHR1.44[1.36–1.52])。


 Narulaらが解析したデータの膨大さは称賛に値します。彼らの研究の強みとして、サンプルサイズが大きいこと、表現型が良好な患者集団であること、および追跡期間が長いこと(中央値9.42年[IQR 8.74-10.48])を指摘できます。また、Narulaらの研究の注目すべき特徴は、心血管疾患と薬物が循環ACE2レベルにどのように影響するかを知るために、メンデル・ランダム化解析を使ったことです。表現型データと組み合わせた解析によって、BMI増加と循環ACE2の増加が糖尿病発症と関係する可能性を示唆しています。一方で研究の欠点としては、他に類型がないことであり、そのため最終的には、循環ACE2をリスク予測のバイオマーカーとして実用化する前に、独立したコホートでのNarulaらの結論の検証が必要です。独立したコホートでの検証が不可欠となる理由は、バイオマーカーの実際の信頼度は最初の評価ほど良くはないからです(文献10)。さらに、普通は各個人のACE2測定値は1回しか得られないため、疾患の進行に伴う変化や、治療による変動などは不明です。循環ACE2を臨床現場でのリスクマーカーとして使用するには、ACE2レベルに対するさまざまな病状の影響を男女別に評価して基準を明確にする必要があります。


 もう1つ次のような疑問があります。心臓血管医学における有害予後を予測する血液バイオマーカーの使用には長い歴史があります。これらのマーカーは、独自の個別化医療でもあり、患者固有のリスクの予測に役立ってきました。それでも更に新たなバイオマーカーが必要でしょうか?循環ACE2などのバイオマーカーのスクリーニングは、恐らく不十分な医療資源を競合し合って、結果として、心血管疾患の有害な後遺症を防ぐための治療的意味を持ち、かつ費用効果の高いバイオマーカーだけが生き残るはずです。循環ACE2測定の費用対効果を標準的な現行法と比較するには、例えば質調整生存年(QALY)当たりの増分コストに基づいて判断することになります(文献11)。QALYに関するバイオマーカーの費用対効果は、直接介入する場合の費用対効果よりも小さい可能性が高いため、特に重要となるのです(文献11)。


 恐らく、現在進行中のCOVID-19パンデミックの下で実施されたNarulaらの研究の最も重要な情報の1つは、循環ACE2レベルと治療薬であるACE阻害薬、アンジオテンシン受容体遮断薬(ARB)、βブロッカー、カルシウムチャネルブロッカー、および利尿薬の使用量との間に関連性がないことです(文献9)。これらの結果は、同時に実施されたメンデル・ランダム化研究によっても検証されたので、ACE2値の改善だけを目的としてレニン-アンジオテンシン系阻害薬を差し控えるべきではないという証拠を裏付けています(文献9,12)。また、ACE阻害薬もARBも、心血管疾患患者の循環ACE2活性を変化させないという以前のデータとも矛盾しません(文献8,13)。観察されたデータは、ACE阻害薬とARBがCOVID-19患者に悪影響を及ぼさないことを示してはいますが、この分野で進行中の、レニン-アンジオテンシン系の治療薬を中断したり新たに開始することの無作為化対照臨床試験の結果を待たなければ確定はできません。COVID-19呼吸器疾患のARB薬を評価するCLARITY試験では、COVID-19であってかつレニン-アンジオテンシン系阻害薬未投与患者を、インドとオーストラリアに拠点を置く試験(NCT04394117)で、ARBまたはプラセボにランダムに割り当てて実施中です。


 Narulaらは、循環ACE2がレニン-アンジオテンシン系調節不全のマーカーである可能性を述べています(文献9)。確かにこの特性は将来的に、循環ACE2レベルが上昇した個人を、より集中的な生活習慣の改善または薬理学的な治療対象とすることで、予防的~治療的に対処する可能性を示しています。これは臨床現場で予後を改善するための臨床試験が必要な仮説です。


 この論文には競合する利害関係が無いことを宣言します。


文献


1 Burrell LM, Johnston CI, Tikellis C, Cooper ME. ACE2, a new regulator of the renin-angiotensin system. Trends Endocrinol Metab 2004; 15: 166–69.


2 Donoghue M, Hsieh F, Baronas E, et al. A novel angiotensin-converting enzyme-related carboxypeptidase (ACE2) converts angiotensin I to angiotensin 1-9. Circ Res 2000; 87: E1–9.


3 Crackower MA, Sarao R, Oudit GY, et al. Angiotensin-converting enzyme 2 is an essential regulator of heart function. Nature 2002; 417: 822–28.


4 Kuba K, Imai Y, Rao S, et al. A crucial role of angiotensin converting enzyme 2 (ACE2) in SARS coronavirus-induced lung injury. Nat Med 2005; 11: 875–79.


5 Hoffmann M, Kleine-Weber H, Schroeder S, et al. SARS-CoV-2 cell entry depends on ACE2 and TMPRSS2 and is blocked by a clinically proven protease inhibitor. Cell 2020; 181: 271–80.e8.


6 Epelman S, Tang WH, Chen SY, Van Lente F, Francis GS, Sen S. Detection of soluble angiotensin-converting enzyme 2 in heart failure: insights into the endogenous counter-regulatory pathway of the renin-angiotensinaldosterone system. J Am Coll Cardiol 2008; 52: 750–54.


7 Ramchand J, Patel SK, Kearney LG, et al. Plasma ACE2 activity predicts mortality in aortic stenosis and is associated with severe myocardial fibrosis. JACC Cardiovasc Imaging 2020; 13: 655–64.


8 Ramchand J, Patel SK, Srivastava PM, Farouque O, Burrell LM. Elevated plasma angiotensin converting enzyme 2 activity is an independent predictor of major adverse cardiac events in patients with obstructive coronary artery disease. PLoS One 2018; 13: e0198144.


9 Narula S, Yusuf S, Chong M, et al. Plasma ACE2 and risk of death or cardiometabolic diseases: a case-cohort analysis. Lancet 2020; 396: 968–76.


10 Vasan RS. Biomarkers of cardiovascular disease: molecular basis and practical considerations. Circulation 2006; 113: 2335–62.


11 Henriksson M, Palmer S, Chen R, et al. Assessing the cost effectiveness of using prognostic biomarkers with decision models: case study in prioritising patients waiting for coronary artery surgery. BMJ 2010; 340: b5606.


12 Sparks MA, South A, Welling P, et al. Sound science before quick judgement regarding RAS blockade in COVID-19. Clin J Am Soc Nephrol 2020; 15: 714–16.


13 Walters TE, Kalman JM, Patel SK, Mearns M, Velkoska E, Burrell LM. Angiotensin converting enzyme 2 activity and human atrial fibrillation: increased plasma angiotensin converting enzyme 2 activity is associated with atrial fibrillation and more advanced left atrial structural remodelling. Europace 2017; 19: 1280–87


(第422話 完)



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