シリーズ『くすりになったコーヒー』


 1月14日、お子様用バラエティー番組「NHKチコちゃんに叱られる」にZoom出演してきました。テーマは「食後にコーヒーを飲むのはワインの酔いをさますため」。昔のパリ、人気のカフェレストランで食事を摂ると、食後には必ずコーヒーが出たそうです。そのコーヒーの効能をチコちゃんに分かるように教えて上げるという番組でした。



●フランスの歴史家ジュール・ミシュレは、コーヒーの効能を著書「フランス史」に書き残した(写真を参照)。

 それによると「コーヒーは力強く頭脳に作用し、蒸留酒などとは反対に明晰さを活性化する」。つまり、アルコールは頭脳を麻痺させるが、コーヒーは麻痺を改善するということが書いてあります。



●番組スタッフが選んだ確認実験は、食後にコーヒーを飲む・飲まないに分けて、刺激反応速度を測定することだった。



 お笑い芸人・ひげ男爵の二人が、聴覚反射測定器の上に立って、「器械が出す音が聞こえたら跳ねる」という簡単な実験でした。食後にワインを飲んだ髭男爵ひぐち君(写真上)の反応速度は飲酒後に約2倍に遅くなったのに対し、食後にコーヒーを飲んだ山田ルイ53世(同下)の反応速度はほとんど変わらないという結果でした。


●コーヒーの薬効薬理作用は「ワインの酔いを覚ます」でした。

 この実験は「コーヒーの薬効薬理作用」を実験で確かめたということですが、番組を視聴した薬剤師と医師の数名から、「もう少し掘り下げて欲しかった」とのご意見を頂きました。でもそれは「チコちゃんに叱られる」の番組ポリシーから逸脱してしまいます。より広くより多くの視聴者に見ていただくという目的がありますから、これ以上はサイエンス番組のテーマになってしまうのだそうです。そこで、この場を借りて、より専門的に「薬として食後に飲むコーヒーの効能」を書くことにします。


●アルコール代謝分解には、生命の源とも言える補酵素NADが関与する。

 日本人はアルコール代謝酵素が少ないのでお酒に弱い・・・とよく言われます。図1に示すように、飲んだアルコールは肝臓で代謝分解されて、最後は水と炭酸ガスに変わります。アルコール(有害)→アルデヒド(有害)→酢酸(無害)の2段階のそれぞれが酸化酵素ADHとALDHを触媒にして進行し、どちらも補酵素NADを要求しています。酵素と補酵素は一体となって働いて、実際に反応を起こして変化する部分は補酵素の方なのです。つまり酵素があっても補酵素NADが不足しているとアルコール代謝分解は遅くなって、その結果、アルコールとアルデヒドが過剰に蓄積して、最悪の場合は泥酔とか二日酔状態を招いてしまいます。



 ところが、ワインを飲んだ後にコーヒーを飲むと、コーヒーに含まれている関与成分のニコチン酸がパワーを発揮するのです。まず大事なことは、ニコチン酸がNADに変化することです。そして、アルコールの代謝分解で減る分を補うことができるのです。つまりコーヒーには、アルコールを速やかに代謝分解して、酔いを覚まして二日酔いを防ぐか軽くする効き目があるのです。薬理学用語で言えば、コーヒーのニコチン酸はNADの前駆体(ブースター)なのです(詳しくは → こちら)。


●ところが、NADは良いことばかりではない!

 もう一度図1を見てください。NADがアルコールを酸化分解すると、NAD自身は還元されてNADHに変わります。ごく最近になって、このNADHが実はとんでもない悪者であることが解ったのです。以前から悪者かも知れないということは、血液中のNAD/NADHの比が細胞内の酸化状態を表わすパラメーターであるとの論文がありましたが、今回のネイチャー姉妹誌に掲載された論文で、それがはっきりしたということです。その論文によると、NADHはなんと長寿遺伝子が作るタンパク質SIRT1を不活性化するというのです(詳しくは → こちら )。


 これまでに分かっていたことは、SIRT1が活性化するためにはNADが必要で、不活性なSIRT1がNADを分解して活性化するということです。そのNADが、アルコールを飲んで減ってしまうので、SIRT1が不活性なままになってしまうということです。そして更に言うならば、心臓病や腎臓病のリスクが高まり、現に患者ならば症状が悪化することを意味しています。今回の発見は、それに輪を加えて、増えたNADHが活性型のSIRT1をも不活化してしまうという最悪の事態を招くのです。従って、NAD/NADH比はこれまで考えられていた以上に、生命にとって重要な意味を持っていることが解ったのです。アルコールを過剰に飲み過ぎていると、現代型のペラグラ(ニコチン酸欠乏症)を発症する恐れもあるとのことです。


●コーヒーは胃に働いて胃酸分泌を促進する

 昔からそう言われてきましたが、だからどうなのかと言いますと、胃の弱い人にコーヒーは向かない、お腹が空いているときにコーヒーを飲むと胃を壊す、毎日飲んでいると胃潰瘍や逆流性食道炎の原因になる、などと言って注意を促していたのです。


 コーヒーを飲むと胃酸が分泌されるのはカフェインの作用ですが、それが明確に証明されたのは2017年になってからです。実験の内容を図2に示します。被験者はカフェインの飲み方を変えて、飲んだ後で胃内のpH変化を測定するという実験です。飲み方とは、①はカフェインを水に溶かして飲む、②はカプセルに入れて飲む、そして③はカフェインを溶かした水でぶくぶくしてから吐き出す、という違いです。そして、胃内のpH変化をグラフで示しました(詳しくは → こちら )。



 実験の結果、①で胃内が塩酸のpH=1まで下がるには30分かかったのに、②ではそれより早い25分で下がりました。そして③では50分近くもかかったのです。この結果は、カプセルにして飲んだほうが、カフェインの全量が胃に届いて、作用が強く出ることを示しています。その後の研究で、やや苦味をもつカフェインが胃壁の苦味受容体に作用した結果であることが解っています。コーヒーと言うより苦味物質、例えばゴーヤが夏の疲れをとるのによいという訳も、実はゴーヤが胃酸を分泌して消化をよくするからなのです。


●コーヒーが胃酸分泌を刺激しても、それが胃腸障害に繋がることはない。

 これについても昔から「コーヒーの飲み過ぎは胃を壊す」と言われてきました。しかしそれが間違いであって、コーヒーと胃腸障害は無関係であることを証明したのは、2013年に発表された亀田総合病院の研究でした(詳しくは → こちら )。



●コーヒーは小腸のL細胞を刺激してGLP-1分泌を高めてインスリンを増やす。

 インクレチンとは、消化管内のグルコースに反応して分泌されるホルモンです。インスリン分泌を刺激するので、糖尿病治療薬の開発を目的に研究されています。コーヒーが作用するインクレチン分泌細胞は小腸下部のL細胞で、ここにある苦味受容体TAS2R38に結合するとのことです(詳しくは → こちら )。



 L細胞を刺激する関与成分は苦味物質で、コーヒーではクロロゲン酸が第一候補になっています。デカフェコーヒーでも作用が強く出るので、カフェインの作用はあっても弱いものと考えられています。疫学研究で「コーヒーは2型糖尿病のリスクを下げる」となっていますが、クロロゲン酸によるGLP-1分泌促進が関わっていることを示すデータです。別の論文の表題に「苦味物質のカクテルが糖尿病薬になる(A bitter pill for type 2 diabetes?」とも書かれていますが、そもそもコーヒーがそれに当たると思われます(詳しくは → こちら )。


 ついでですが、最近の研究によれば、苦味受容体は舌の他にも胃と小腸、呼吸器、脳といった場所にも発現しています。新型コロナウイルスの感染排除に気管支上皮の受容体が関与するとの報告もあります(第409話 → こちら)。脳の受容体の役割は不明です。


●食後の満足感を増幅するコーヒーは脳内大麻の役割の一部

数年前の「チコちゃんに叱られる(詳しくは → こちら )で、「肉を食べると幸せになれるのは何故?」と言うような内容をやっていました。その答えは「肉に含まれているアラキドン酸から脳内大麻アナンダマイドができるから」でした。アナンダマイドはカンナビノイド受容体とバニロイド受容体の両方に結合して幸せ効果を発揮します。カンナビノイド受容体に結合する食品成分はほとんどありませんが、バニロイド受容体に結合するのは香辛料の成分です。これらを図5の一覧をまとめました(第28話も参照 →  こちら)。



 図5の香辛料成分が消化管の働きを改善することは古くから知られ、原産地以外の人々にも人気が高かったため、植民地争奪戦まで起こったとのことです。唐辛子やコショウは代表的ですが、その他もそれなりに良く知られている成分です。その中でコーヒーのフェルラ酸については、注目されたことがほとんどありません。そのくせ「カレーにインスタントコーヒーを淹れると美味さが増す」などと言う話が沢山あります。


 食後にコーヒーを飲むと、フェルラ酸が胃壁のTRPV1に結合して、カフェインによる胃酸分泌の亢進を抑制します。では、胃酸の効果がなくなるではないかとも思えるのですが、実はよく解っていない相乗作用のバランスの問題があって、フェルラ酸は胃酸の分泌を抑えるのではなく、胃酸による胃粘膜の障害を減らすというような効き目を発揮しているらしいのです(富永,日薬理誌,128:78-81,2006を参照🔎)。


 更にコーヒーのクロロゲン酸は、脳におけるセロトニンの分解を抑制して、大麻とは異なる幸せ感(気分を和らげる自律神経のバランス改善)を齎すとも考えられるのです(詳しくは → こちら )。


●まとめ

 以上に加えてコーヒーには腸内細菌叢を改善する役割も知られています。しかしそれは未だ可能性の話であって、具体的ではありません。現在解っている食後コーヒーの確かな話は次の4つです。

1.アルコールの代謝を促進し、不足するNADを補給して、二日酔いを防ぐ。

2.胃酸の分泌を亢進して消化を助ける。

3.小腸でGLP-1の分泌量を増やして食後高血糖を予防する。

4.胃壁と腸管壁のTRPV1受容体を刺激して幸せ感を増幅する。


 以上、「チコちゃんに叱られる」の成人向けバージョンでした。

(第463話 完)