テキサス大学健康科学センターのサラ・エスピノザ教授は、老化を予防する医学的方法の三本柱について総説論文を発表しました(詳しくは → こちら)。世界中の研究者が老化のメカニズムを研究し、老化を食い止める色々な方法を提案していますが、どれが本物なのか見分けることは大変です。エスピノザ教授の三本柱とは、信頼できる学術誌に発表されて、論文数もある程度まとまっている研究テーマを、彼女自身の志向を交えながら選んだものです。ただし、彼女の三本柱にコーヒーは入っていません(最終章を参照)。
●先ずはNADについて説明します。
図1の真中の柱NADは、このブログに何回となく登場しました。コーヒーにNADは入っていませんが、その代わりにNADの前駆体(ブースターともいう)として体内でNADになるニコチン酸(ナイアシンともいうVB3の1つ)が入っています。ニコチン酸は生豆のトリゴネリンが焙煎の熱で化学変化してできるので、浅煎りより深煎りのコーヒーに多く入っています。トリゴネリンの熱変化で生じるニコチン酸の体内変化を図2に示します。
この図はアラビカ種の生豆10gにトリゴネリンが50∼80㎎入っていて、焙煎するとニコチン酸とNMPに変わることを説明しています。深煎り豆のニコチン酸含量は最大で3.8㎎/10g(1杯)程度で、女性なら3杯飲めば1日のVB3推奨量に匹敵します。体内に入ったニコチン酸は各臓器細胞の中でNADに変わって、ビタミンとしての働きを発揮して、その後は②~④の代謝物に変化して排泄されます(詳しくは → こちら)。
●難病ミトコンドリア・ミオパチー(MM)の治療にはニコチン酸が有用である(詳しくは → こちら)。
MMとは、筋肉細胞のミトコンドリアがNAD不足になっていて、筋肉に力が入らなくなる難病で、治療薬はありませんでした。ところが、ヘルシンキ大学医学部のE.ピリネン博士らはMM患者をナイアシン(ニコチン酸)で治療することを考えました。最初は200㎎/日からはじめて、10ヶ月後に700㎎/日まで増量しました。その結果、筋肉内NAD濃度は見事に回復したのです(図3)。
では、健康な人が年を取ったり病気になってもNADが不足しないように、普段から気をつけるべき食生活があるでしょうか。このブログでは第497話で、NADを増やす食生活について解説しました(詳しくは → こちら)。
●次に、老化細胞除去薬について説明します。
これについては、多くの化合物の中からスクリーニングで選ばれた図4の混合物が老化マウスの老化細胞の除去に有効との報告があります(詳しくは → こちら)。
老化細胞に働いて、これを直接除去する薬はこれだけです。とは言っても、配合薬の1つが玉ネギその他の野菜に入っているケルセチンということに魅力を感じるのは筆者だけではないはずです。老化した細胞では、タンパク質が変性し、脂肪は過酸化脂質になり、還元糖(グルコースなど)はタンパク質にくっついてメイラード反応が進行します。すると炎症を引き起こす物質ができて、主に心臓病の原因になることが分かっています。さらに、老化細胞は若い人にもあるということです。若い人には分裂を繰り返す細胞が沢山あって、分裂の度にテロメアが短くなって、やがて分裂不能になると老化細胞になるのです。そこで、ケルセチンを含む植物性ポリフェノールに、老化細胞を殺すことは無くても、それが原因の炎症を抑える作用があることが魅力なのです(詳しくは → こちら)。
一方、絶食が若返りに有効で、それが老化細胞のオートファジーによることが解っています(図6も参照)。コーヒーの研究では、カフェイン、クロロゲン酸、フェルラ酸、トリゴネリンなどがオートファジーを誘導することが確認されています。中でもフェルラ酸によるオートファジーは老化予防と関連することが解っています。詳しくはこのブログでも紹介したので参照して下さい(詳しくは → こちら)。
●最後はメトホルミンの老化予防研究です。
日本で保健医療が始まった頃から今も人気の糖尿病治療薬メトホルミンが、改めて注目されています。話がやや複雑ですので、最初に説明しておきます。注目の切っ掛けは、アラバマ大学のベルとオバレが2000年に発表した論文に書いてある「糖尿病治療でメトホルミンとスルフォニル尿素を併用すると、インスリンを使わずに7年間生存できる」という文章で、純粋に医学の話です(詳しくは → こちら)。
もう1つの切っ掛けは、同じく今世紀のはじめに赤ワインと長寿遺伝子で有名になったハーバード大学のシンクレア博士が「老化は病気だから薬で治せる」と発言したことです。この発言を受けて「老化は本当に病気なのか?」の議論が高まりました。もしそうだとすれば、抗老化薬が医療に取り込まれて、日本では健康保険の対象になって、政治的にも経済的にも社会に大きな影響を及ぼすことになるのです。
老化は病気か否かという哲学的議論では、「老化とは何ぞや?」という医学的で社会的な定義を定める必要があります。幾つかの議論を経て、「老化とは、年を取ると罹り易くなる死亡率の高い病気と同じ状態になること」と説明されるようになりました。具体的に書くと、糖尿病になっても老化したとは言われませんが、心臓病や腎臓病などを併発して、体力・気力も失せるフレイルティーになると、「老化しましたね」と言われるのです(詳しくは → こちら)。スルホニル尿素とメトホルミンの併用は、糖尿病患者がそうなるまでの期間を7年間遅らせる、つまり老化を7年間遅らせる・・・ということなのです。そして2009年になると、メトホルミンがAMPKとNADを介して長寿遺伝子産物のSirt1を活性化し、加齢性疾患を予防することが解ってきました(図5)(詳しくは → こちら)。
図6のデータはフランスIGBMC研究所の成果で、2009年のネイチャー誌に発表されたものです。このデータを切っ掛けに、メトホルミンがNAD経由の生化学経路で加齢疾患を減らして寿命を延ばすことが示されました。以前から知られている運動と絶食も同じ経路で寿命を延ばします。つまりメトホルミンが抗老化薬の候補になったのですが、抗老化薬として名実ともに認められるためには、臨床試験をパスしなければなりません。しかしここで更なる難題にぶつかりました。試験に必須のエンドポイントの設定が難しいのです。
●抗老化薬の臨床試験エンドポイントとは?
この問題を解決するため、2017年に「メトホルミンが抗老化薬であることを前提とした臨床試験」が企画されました。この臨床試験は、老化を治療のターゲットとする最初のもので、TAME:Targeting Aging with Metformin(メトホルミンによる老化のターゲット化)と名づけられました。試験の目的は、「エンドポイントを被験者の死の時点とせずに、死に替わる日常測定可能な検査値を見つけること」となっています。何故なら、メトホルミンに続いて、数多くの候補薬が登場することは明らかなので、共通のエンドポイントを定めておくことが必須だからです。ではどんな検査値が考えられているかというと、米国の民間非営利医療研究施設スクリプス研究所、メイヨークリニック、ワシントン大学の共同研究で提案された図5のような多くの選択肢が示されています(詳しくは → こちら)。
近い将来に新しい化学物質が試験薬となる場合、どのエンドポイントを測定すべきかを知ることは非常に困難な課題です。メトホルミンの臨床試験が成功すれば、図7のエンドポイントの夫々について、従来言われている加齢関連現象(罹患率、虚弱、死亡率など)とよく一致する代替マーカーの順位づけができるようになると期待されています。
●コーヒーの位置づけは?
数多くの疫学研究によって、コーヒーを飲んでいると加齢疾患の罹患率が低下し、それによって寿命が延びる(死亡リスクが低下する)ことが示されています。ごく最近には、どんなコーヒーを飲んでいても、ほぼ例外なく同じ傾向であることが指摘されています。更に、コーヒーが糖尿病を予防して、肥満を改善する効き目は、図6と共通のメカニズムであることも報告されています(詳しくは → こちら)。それでも創薬の有識者の中には「コーヒーにも抗老化薬の臨床試験が必要である」と指摘する人がいます。しかし筆者は、コーヒーの臨床試験は実現しないと思います。理由は2つあって、1つは試験に要する莫大な費用を負担する人がいないということ。そしてもう1つは、例え試験期間が1年であっても、コーヒーは嗜好品ですから、好みでないコーヒーで試験されることを受け入れられる人は少ないはずですし、プラセボを只の水にすれば、無作為の原則が破れます。つまり、コーヒーに臨床試験は不向きです。
コーヒーが進む道はただ1路、健康珈琲が文化として社会に根づいて、皆が知らぬ間に元気な長寿を楽しむことです。
(第505話 完)