1945(昭和20)年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾、敗戦した。翌年4月には国家総動員法及戦時緊急措置法廃止法律が施行され、徐々に戦時体制は解かれていった。だが、太平洋戦争中に健兵健民政策を後押しするために改正された分娩給付は継続され、令和の世まで禍根を残すことになる。
敗戦直後の日本経済は、まさに「どん底」だった。工場のほとんどは焼失、軍需産業は停止した。街には失業者が溢れ、1945年3月末に948万人だった健康保険の被保険者数は1946(昭和21)年3月末には411万人まで半減している。また、敗戦直後に政府が行った多額の軍需補償に加えて、極度の物資不足、大量の預金引出などによって急激なインフレが進行した。卸売物価指数は1945年から1948年(昭和23)年までの間に約70倍になったとされる。