無駄な作業に比重を置き過ぎ
日本の薬機規制の持続可能性を論ずる際に、10月30日に発出された同31日が期限の後発医薬品製造販売業者・製造業者に求められた承認書と製造実態の整合性に関する自主点検後の手続きについての通知は措いておいても、同日付け事務連絡の「点検における相違の考え方」の内容の細かさには驚かされた。いろいろな誤記載を含め、いちいち「薬事手続きを軽微変更届書により行うことの妥当性について、PMDAへの相談を要するもの」が多く示されているが、そんな必要があるのであろうか。無駄な業務ではないのか。
PMDAの職員の定着率がよくないとよく聞くが、このようなところにも原因があるのではないか。ICH Q12ガイドライン(医薬品のライフサイクルマネジメント)について、日本の承認書を世界に定着させたいとの声も聞くが、このような内容では到底無理であろう。大幅に簡素化できないのなら、製造方法欄等を承認書から外すことが今後、視野に入ってこなければならない。それ程、世界標準の考え方からずれまくっている。
そもそも他先進諸国で、CTDの記載と製造実態との違いについてこのように拘る規制の例があるのだろうか。メガファーマは、とくにバイオ薬の場合、頻繁に変更の届出をするとは聞いているが、どうもここに示されるような「相違」の解消のレベルではないと思う。無駄な行政の典型を見るような思いだ。数年前にあった、添付文書の記載方法を変えた際にいちいち民間業者のそれをPMDAがチェックするということがあったと思うが、無駄な作業に比重を置き過ぎではないか。そもそも日本の薬事当局は「間違いのない記載」に拘り過ぎている。何でも「過ぎたるは及ばざるが如し」である。
ある業界の方から、「日本的(だけの)規制」について、世界標準に乗り遅れた、もしくはそれ以上に日本の規制が良くできているという根拠なき規制側の自信(過信)と、ひたすら規制側に従順で思考停止してきた業界側の、ある種の協働作業の結果ではないかと指摘された。もっともだと思う。
最後に話が飛ぶが、10月19日の日経BP主催の「バイオシミラー新時代」で、サンド本社の方が、日本での工場建設の可能性を聞かれて(半導体のように補助金付きでと理解したが)、「今世界の50%程度の製品の供給を2工場で行っているので、日本市場だけが対象では難しい、アジアにも対象が広がれば……」と答えたと考えている。大きな供給力を有する韓国や台湾は、米欧の力に全面的に頼り、自給能力を構築したが、日本はしばらくこのような「中途半端な立ち位置」との闘いを続ける羽目になるだろう。