■過去の歴史をひきずる日本の傾向
――日本の糖尿病患者に対するスティグマとは、どのようなものですか?
清野 アドボカシー活動を行ううえで2つめの重要なポイントが、「日本の糖尿病を持つ人が抱えるスティグマ[ii]への理解」です。日本の糖尿病治療は飛躍的に進歩したのに、いまだに過去の状況で生まれた見方や言葉を払拭できておらず、スティグマを生む原因になっています。
糖尿病をめぐるスティグマは、「社会的スティグマ」「乖離的スティグマ」「自己スティグマ」という3つの類型に分類されます(表1)。これらは相互に関わりがありますが、我われはまず医療者や医薬業界関係者の理解と協力を得て、医療関係者の付与する「乖離的スティグマ」の解消に取り組んでいくのが現実的だと考えています。
糖尿病を持つ人の治療に関して、私が使うべきではないと考える言葉の一つが「療養」です。非常に暗いイメージに加え、「隔離」という要素があるからです。
明治時代から昭和20(1945)年代まで長い間、日本の国民病は結核で、罹ると療養所に3年くらい隔離し、家族との面会もままなりませんでした。一方、私が京都大学を卒業して医師になった1967年当時、糖尿病の治療に使えるのはインスリンとスルホニルウレア(SU)薬の一部くらいでした。1型糖尿病患者は30代で人工透析になり多くの人が亡くなっていたし、網膜症による失明も多かった。効果的な治療がなかったこうした時代に、先の知れない糖尿病患者は生命保険に入れない、住宅ローンを組めないという「社会的スティグマ」が生まれました。糖尿病になりやすい体質を遺伝病と混同し、世間体を気にして、一族から糖尿病患者を出したら大変だと恥じ、隠す傾向も強くありました。
当時はヘモグロビンA1c(HbA1c)なんて測れないので、空腹時血糖を月に1回測って血糖コントロールの指標にしていた。だから、日中の血糖変動はわからない。京都大学では苦肉の策で、一部の患者さんに一升瓶に尿を溜めて持参してもらって尿糖の一日定量を行っていました。結核ほど長くはないものの、6ヵ月くらい入院して、血糖を上げないよう鱈や豆腐・おからを食べてもらうという特異なやり方をしていたので、「療養」という言葉が定着したのだと思います。
でも、高血圧症や心臓病の人に「療養」って使いますか?糖尿病患者には、むしろ積極的に外に出て活躍してほしいという時代に「療養」はふさわしくありません。
――日糖協が、2013年から行ってきた「日本糖尿病療養指導学術集会」の名称を、2022年から「日本糖尿病協会年次学術集会」に変更するという決定も、スティグマやアドボカシーと関係がありますか?
清野 患者に対して教育や指導が必要な場面もあるでしょうが、「上から目線での指導」はやめ、十分なコミュニケーションをとろうという意味合いで、日糖協として「療養指導」という言葉は使わない方針を決めました。また、定款で掲げた正しい知識の普及啓発・治療支援・調査研究・国際交流という活動との整合性や、会員の多様化を考慮して、より広いくくりの名称に変更した次第です。