■医療者自身が原因となる乖離的スティグマ

 

――先生は「医療者や医薬業界関係者が知らず知らずのうちに糖尿病患者に対してスティグマを付与していることがある」と指摘されていますが、具体例を教えてください。

清野 まず、医療情報の解釈や発信に目を向けてみて、常々おかしいと考えているのは、「糖尿病患者の寿命」「合併症と併存症」についての、ありがちな伝え方です。 講演などで「糖尿病患者の平均寿命は一般の人より10年短い」という発言を耳にします。しかし、平均寿命は0歳における平均余命を指し、数十万人の人口に基づいて推計しています。0歳においてその規模の糖尿病患者がいるはずもなく、同じ計算はできません。「糖尿病患者の平均寿命」は、比較的重篤な状態で一部の大病院に入院して亡くなった人の死因調査を行い、死亡した年齢から算出したものです[iii]。全く異なる数字を比較して論じても根拠にはなりません。 


 また、持続的な高血糖状態の結果として生じる神経障害、網膜症、腎症の3つは糖尿病性の「合併症」ですが、脳卒中、心筋梗塞、足壊疽から悪性腫瘍、認知症、歯周病に至るまで、他疾患にも起こりうる「併存症」をなんでもかんでも「糖尿病の合併症」に加えるのは誤りです。他疾患での発症に比べて2~3倍頻度が高くなくなければ、「合併症」とはいえませんが、数十年前ならいざ知らず、現在そのような差はありません。患者は糖尿病だけでも負担を感じているのに、9個も10個も合併症のレッテルを貼られたのでは、治療に取り組む意欲が低下します。糖尿病という病名をつけられてしまうと就職や出世に差し支えるから高血糖を指摘されても受診しない、診断されても隠す、治療を継続しないという悪循環をもたらしかねません。

 

 これらは医療者による「乖離的スティグマ」が「社会的スティグマ」を生んでいる実例です。さらにメディアも「糖尿病になったらこんなに大変だ」という恐怖訴求によって両者をつないで、この傾向を助長しており、その意識改革も重要な課題と考えています。

  

 医療者や医薬業界関係者の口からつい出がちな発言や些細な言葉遣いが、実はスティグマにつながっていることも多々あります(表2)。例えば、糖尿病のことを「糖尿」と略してはいませんか。糖尿病や尿糖という言葉はあっても「糖尿」という医学用語は存在しません。患者を尿呼ばわりするかのような、とても侮蔑的な響きです。


――「糖尿病」という病名そのものを見直す動きがあると聞きます。日糖協のサイトでは2021年11月から、糖尿病の病名に関するウェブアンケートを行われていますね。患者自身は病名をどう受け止めているのか。また、何かよい変更案はあるのでしょうか?

清野 患者にとって今、何がスティグマになっているかを知ることが重要と言いましたが、アンケートから病名変更への要望を正確に捉えるのは、なかなか難しいものです。

 ウェブ調査だと回答者は1型糖尿病を持つ若い人が圧倒的に多く、糖尿病という病気を、自分には何の責任もないのに降ってわいたかのような災難と捉える傾向があり、「尿とつく病名は絶対に嫌だ」「一刻も早く病名を変えてほしい」という意見が大半を占めます。一方、2型糖尿病を持つ人はそこまで強い希望を示さず、「自分が悪かったからなったので仕方ない」と諦めがちな人が少なくない。職場や職種によっても回答が異なる。患者比率に従って対象者数を決めると1型糖尿病を持つ人の意見が反映されないが、多数決で決めるべき問題ではないですしね。

 アンケートで変更案を尋ねると「高血糖症」が多いのですが、ちょっと血糖値が高いだけとの誤解を与えてもいけないし、他臓器への影響もあり、専門医からすると違和感がある。それならいっそ「ディアベテス」のほうがよいか、などと頭をかかえています。