●社会的影響を身体化する能力


「集団ヒステリーは、私たちが心身症や機能障害について考えたり論じたりする際の間違ったありかたを集めて拡大したような概念だといえよう。その診断は、当然のことのように男性には適用されず、若い女性の戯画として使われる」とオサリバンは述べる。「集団発生が起こり、少女が気絶するたびに、何世紀も前の魔女裁判やフロイト流のヒステリーの解釈を呼び起こすような真似を今こそ止めるべきだ」。


 要は「集団社会性疾患」という疾患があることを認識することが必要なのだ。少女たちはHPVワクチンの誤情報が伝えられると、どうして次々に病気になるのかという原因にも冷静で客観性が担保された対処が必要だ。こうした事例は彼女たちの一種の身体的防衛反応を表現しているようにみえる。科学がいつまでもこうした「少女たちの力」をファンタジー視し、取り組む必然を感じていないことを私は少し不思議に思う。


 例えば、オサリバンが紹介するエピソードには、スウェーデンに逃れた難民の少女たちが、家族のなかで自分だけが理解できるスウェーデン語での「難民申請不受理」を受け取って倒れてしまう「あきらめ症候群」は、どんな読者も感情を揺さぶられるだろう。それを単純な病気だといっていいのだろうか。


 少女たちをベッドに釘付けにする脳内ネットワークの混乱はその要因のなかでも最も些細なものだとオサリバンは言う。「あきらめ症候群の子どもたちは、文化・社会的な影響を身体化している」、女性の生理と身体は脳の中で何かを起こす力を持っている。


 次回からは、フェミニズム科学関連でこれまで雑読してきた図書のいくつかを振り返ってみたい。(幸)