シンガポールでの出会い
任期切れの近づいた11年、そろそろ独立したいとJREC-INを当たり、早稲田バイオサイエンスシンガポール研究所(WABIOS)主任研究員(准教授)に任期未定・毎年更新で採用された。同研究所は04年にオリンパスと早大が共同で設立した後、09年から早大の単独設置となっていた。
赴任してみると、施設の規模が小さいことや任期保証のないことから動物実験を続けるのは難しそうに感じた。一方でオリンパスが高性能な顕微鏡を残しており、その強みを生かして生体イメージングに特化しようと考えた。
それまで蛍光タンパク質を基盤とするセンシングプローブは、標的分子が限られていた。その適用範囲を飛躍的に拡張する構想だった。実現するには、あらゆる標的分子に対応した結合タンパク質が必要なため、抗体を使えないかと試行錯誤を繰り返し、しかしうまくいかずにいた。
転機は15年1月、WABIOSの隣のビルで開かれたシンポジウムに、上田宏・東工大資源化学研究所教授が演者としてやってきたことだった。
上田氏のことを知らず、とりあえず聴きに行ってみると、抗体に蛍光分子を内包させ、抗原と結合すると蛍光分子が飛び出して光るという抗体蛍光標識技術「Q-body」の原理を説明していた。使い道として、それこそ洗浄操作不要・基質不要の免疫測定が想定されていたが、これなら自分がやりたかったことも可能になると衝撃を受け、その場で共同研究を申し込んだ。
こうして、ようやく足踏み状態を脱したと思ったのも束の間、WABIOSの閉鎖が決まってしまった。慌てていたところ、上田氏がラボに特任准教授のポストを用意してくれて、17年4月に帰国することができた。
直後の6月、抗体の重鎖可変部位(VH)と軽鎖可変部位(VL)を蛍光タンパク質に結合させることで、抗原が存在すると蛍光の輝度が上がるセンサー分子「Flashbody」を開発、『Analytical Chemistry』誌で発表した。この成果で翌18年2月、上田氏と共に学内の竹田国際貢献賞を受賞している。
同年4月、正式に東工大准教授として採用された。6月、ATPを観察できる3色蛍光センサーを開発して『Angewandte Chemie International Edition』誌で発表、翌19年3月には、新しい緑色蛍光タンパク質型グルコースセンサーを開発して『Analytical Chemistry』誌で発表するなど、次々に成果が出るようになった。
業界内での知名度も上がったらしく、企業から共同研究の相談を持ち掛けられることが増えた。例えば、フナコシから洗浄操作不要で比色検出できる免疫測定系の共同開発を申し込まれた成果が、今回の論文になった。
ほぼ同じ時期に味の素から持ち掛けられて取り組んだのが、10万株以上のタンパク質分泌大腸菌から収率の高い変異株を「Q-body」によって数日で選別できるスクリーニング法の開発で、これは23年4月の『Small』誌で発表、手島精一記念研究賞として学内で表彰もされた。
また21年8月には、「Q-body」を社会実装する目的の大学発ベンチャー株式会社HikariQ Healthが設立され、22年12月に上田氏が教授在籍のまま急逝した後を受けて、翌年からCTOを務めている。