■ “Best of the best”以外の道を選んだ2つの理由
―放医研で重粒子線がん治療装置の小型化や高度化に取り組んできた古川さんが、ベンチャーで“PROTON for everyone”を掲げ、陽子線治療の普及に挑む理由は。
放医研はもともと科学技術庁所管だったという背景もあり、“Best of the best”のがん治療装置をつくるというミッションを強く意識して研究開発に臨んできました。重粒子線で治療を行うと、現場の医師も驚くような治療効果を発揮する例が見られます。がん治療に用いる放射線にはいくつかの種類があります(図2)。その中で重粒子線にしかできないことは確かにありますし、私自身も若い頃は最高水準のものが広く行き届けばいいなと思っていました。
放医研の病院(現・国立研究開発法人量子科学技術研究機構QST病院)では、1994年に重粒子線治療を始め、2023年3月までの約20年間に15,024件の治療を実施しています。世界有数の治療実績ではありますが、治療を受けられる患者さんは年に千人ほど。日本国内で毎年100万人の新患がいる、がんという病気に対する無力感を感じ始めました。国の研究機関で莫大な予算を使っている研究員として、成果を還元できる人数が限られていていいのか、という自責の念もありました。
いちばんの課題は、医療経済学的なハードルです。最近、ある国立大学に導入された例では、装置が約100億円、それを収める建物が約50億円。計150億円となると、300~400床の病院が建てられるレベルの予算規模です。重粒子線治療は対象のがんによって保険医療と先進医療とがあり、照射技術料と診察・検査・投薬などを含めて、200~300万円台と費用に幅があります。いずれにしても、計算上は途方もない人数を治療しないと導入費用がカバーできません。
車なら軽自動車から超高級車までいろいろな選択肢がある。重粒子線治療は非常に難治性のがんなど特殊な目的のために限られた方々が受けるという意味で、超高級車のようなもので、全てのがん患者さんが必要としているわけではないと考えています。ただ、現在のX線治療を軽自動車だとしたら、次のステップとして普通乗用車に多くの人が乗り換えられるように、陽子線がん治療装置に力を注ぐことにしました。
―一歩進んだ放射線治療の選択肢として陽子線治療の裾野を広げることが主な動機ということか。
実はもう一つ、物理人として現場の医師に貢献したいという気持ちも強いのです。放射線の世界で、第1回ノーベル物理学賞を受賞したレントゲン先生は物理学者です。その後に出てきたCTやMRIも全部物理学が発端です。臨床医は、目の前の患者さんをいかに治すかを常に考えていますが、自ら装置の開発はできない。そういう意味で物理学の人材を非常に重んじてくれます。一方で、根は理系なので、技術的な背景などに興味を持って理解しようという姿勢もお持ちです。現状ではX線治療だけを行う、いわば軽自動車に甘んじている先生方に陽子線治療という選択肢を提供できれば、その先にいる患者さんに広く届くことになります。