立花氏のスピーチに違和感を抱いたのは私だけだろうか。そもそも正義という言葉の裏には必ず別の正義がある。厳格な事実を吟味したうえで、その正義が信じられるものかどうかを見極める必要がある。正義とは、それだけ危ういものなのだ。 


 よい例が4年前のドナルド・トランプ大統領の支持者による米連邦議会議事堂の襲撃だ。彼らはトランプ氏の扇動によって正義を遂行しようと突っ込んだ。民主主義を破壊する蛮行として歴史に刻まれるだろう。斎藤氏の支持者の盛り上がりを蛮行だと言っているのではなく、正義を掲げるためには、事実を見極める必要があるという意味だ。 

  

・斎藤氏によるパワハラはあったのか。 

・県民局長の告発は名誉棄損にあたるのか。 

・告発文書は公益通報に該当しないのか。 

・メディアは本当に事実を伝えていないのか。 

・県民局長の非倫理的なプライバシーはどこまで本当なのか。 


 このいずれにも、この時点では事実を確定させる結論は出ていない。 

 

●「メディアが本当に正しいのか」 

 

 街頭演説中、後ろを振り返ると多くの人がスマホをスタンドで固定したり、頭上に掲げて撮影している。前方から振り返ると、夕闇に光るイルミネーションのように見える。